最上義光の生涯を年表形式にまとめました。各項目の時期・内容については諸説ありますので、これが正しいとは限りません。新しい情報があり次第、適宜修正を加えていく予定です。
年 | 月 | 項 目 | 年齢 |
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天文15年(1546) | 1 | 最上義守の嫡男として山形城にて誕生 幼名白寿丸 | 1 |
永禄3年(1560) | 1 | 元服し将軍足利義輝から「義」の字を賜り義光と名乗る | 15 |
従五位下右京大夫に叙任 | |||
3 | 寒河江攻めの戦において初陣 | ||
永禄4年(1561) | 蔵王温泉にて盗賊の首領を討ち取る | 16 | |
永禄5年(1562) | 17 | ||
永禄6年(1563) | 6 | 父義守と共に上洛 将軍足利義輝に拝謁 | 18 |
永禄7年(1564) | 妹の義姫が米沢城主・伊達輝宗に嫁ぐ | 19 | |
永禄8年(1565) | 8 | 五百川合戦に出陣 八ツ沼城と鳥屋ヶ森城を攻略 | 20 |
永禄9年(1566) | 21 | ||
永禄10年(1567) | 8 | 義姫の子・梵天丸(伊達政宗)が誕生 | 22 |
永禄11年(1568) | 23 | ||
永禄12年(1569) | 24 | ||
元亀元年(1570) | 父義守と険悪になる 宿老氏家定直の仲裁により家督を相続 | 25 | |
元亀2年(1571) | 義守が出家し栄林と号す | 26 | |
元亀3年(1572) | 27 | ||
天正元年(1573) | 28 | ||
天正2年(1574) | 1 | 天正最上の乱がおこる 義守・天童氏・伊達輝宗らと争う | 29 |
9 | 伊達輝宗と和議を結ぶ 義光方が優勢となる | ||
天正3年(1575) | 嫡男義康誕生 | 30 | |
天正4年(1576) | 31 | ||
天正5年(1577) | 天童城を攻めるも決着つかず天童氏と和睦 天童夫人輿入れ | 32 | |
上洛し織田信長に拝謁 最上出羽守に任じられる | |||
天正6年(1578) | 長女松尾姫誕生 | 33 | |
天正7年(1579) | 8 | 湯殿山に病気平癒の祈願を行う | 34 |
天正8年(1580) | 最上川三難所を開削する | 35 | |
天正9年(1581) | 5 | 天童氏及び東根氏と戦闘状態になる | 36 |
二女駒姫誕生 | |||
天正10年(1582) | 二男家親誕生 | 37 | |
7 | 大宝寺氏に味方する山辺氏と交戦する | ||
10 | 三男義親誕生 天童夫人死去 | ||
天正11年(1583) | 3 | 前森蔵人の謀反により大宝寺義氏が自刃 | 38 |
天正12年(1584) | 6 | 谷地城主の白鳥長久を山形城にて討つ 谷地城を攻略 | 39 |
6 | 寒河江城を攻略 寒河江城主の寒河江高基は自刃 | ||
10 | 天童城を攻略 天童城主の天童頼久は陸奥に落ち延びる | ||
10 | 小国細川氏を討伐 小国城を攻略 | ||
三女竹姫誕生 | |||
天正13年(1585) | 前森蔵人から大宝寺義氏所持の刀が贈られる | 40 | |
5 | 鮭延城を攻める 鮭延秀綱が降伏し家臣に加わる | ||
天正14年(1586) | 1 | 山寺立石寺に土地を寄進する | 41 |
天正15年(1587) | 10 | 庄内に出陣 大宝寺義興が降伏のち自害する | 42 |
最上川舟運の整備を図る | |||
天正16年(1588) | 2 | 伊達政宗の大崎攻めに対し大崎家に援軍を派遣 | 43 |
5 | 豊臣秀吉により羽州探題に任じられる | ||
7 | 中山峠にて伊達軍と対峙 妹義姫の尽力により和睦 | ||
8 | 本庄繁長と庄内十五里ヶ原にて合戦に及ぶも敗北 | ||
四男光茂誕生 | |||
天正17年(1589) | 44 | ||
天正18年(1590) | 5 | 父義守が死去 | 45 |
6 | 豊臣秀吉の小田原攻めに参陣 | ||
7 | 宇都宮城にて豊臣秀吉に拝謁 | ||
10 | 仙北一揆平定のため上浦郡に出兵 湯沢城を攻略 | ||
天正19年(1591) | 1 | 上浦郡南部(雄勝郡)1万5千石を加増される | 46 |
従四位下侍従に叙任 | |||
弟の長瀞義保が戦死 | |||
文禄元年(1592) | 朝鮮出兵のため肥前名護屋に赴くも渡海はせず | 47 | |
文禄2年(1593) | 6 | 連歌の会を催す | 48 |
文禄3年(1594) | 11 | 岩出山にいた義姫が実家の山形に戻る | 49 |
文禄4年(1595) | 8 | 関白豊臣秀次自刃 二女の駒姫が三条河原で処刑される | 50 |
8 | 正室の大崎夫人が死去 | ||
小野寺家が実効支配の雄勝郡に出兵 湯沢城を攻略 | |||
慶長元年(1596) | 7 | 慶長大地震おこる 徳川家康の警護にあたる | 51 |
慶長2年(1597) | 8 | 京都にて著名文化人と共に連歌の会を催す | 52 |
慶長3年(1598) | 53 | ||
慶長4年(1599) | 五男光広誕生 | 54 | |
慶長5年(1600) | 9 | 慶長出羽合戦おこる 直江兼続率いる上杉軍を撤退させる | 55 |
庄内に出兵 尾浦城を開城させる | |||
慶長6年(1601) | 4 | 酒田東禅寺城を開城させる | 56 |
7 | 庄内3郡を加増される | ||
慶長7年(1602) | 5 | 雄勝郡との交換により由利郡を所領に加える | 57 |
六男光隆誕生 | |||
慶長8年(1603) | 8 | 嫡男義康が庄内丸岡にて暗殺される | 58 |
慶長9年(1604) | 59 | ||
慶長10年(1605) | 60 | ||
慶長11年(1606) | 斎藤光則に命じ最上川三難所の改修工事を行う | 61 | |
慶長12年(1607) | 新関久正に因幡堰の開削を命じる | 62 | |
慶長13年(1608) | 7 | 羽黒山五重塔の改修工事が完了 | 63 |
慶長14年(1609) | 64 | ||
慶長15年(1610) | 65 | ||
慶長16年(1611) | 3 | 従四位上左近衛権少将・出羽守に叙任 | 66 |
慶長17年(1612) | 7 | 北楯利長に開削を命じた北楯大堰が完成 | 67 |
慶長18年(1613) | 9 | 病をおして江戸にて徳川秀忠に拝謁 駿府にて徳川家康に拝謁 | 68 |
慶長19年(1614) | 1 | 山形城にて死去 二男家親が家督を継ぐ | 69 |
2 | 山形城下の慶長寺(光禅寺)にて葬儀が執り行われる | ― | |
6 | 一栗高春の乱がおこる | ||
10 | 家親が清水城攻めを命じる 三男清水義親が自刃 | ||
11 | 大坂冬の陣 家親は江戸城留守居役を務める | ||
慶長20年(1615) | 5 | 大坂夏の陣 家親は江戸城留守居役を務める | ― |
元和2年(1616) | ― | ||
元和3年(1617) | 3 | 家親死去 家親の子である家信が家督を継ぐ | ― |
元和4年(1618) | ― | ||
元和5年(1619) | ― | ||
元和6年(1620) | ― | ||
元和7年(1621) | ― | ||
元和8年(1622) | 8 | 最上家が改易となる 近江・三河に1万石を与えられる | ― |