HOME >  ◇最上家家臣団(た行)

高橋勘解由(たかはしかげゆ)

 生年不明~没年不明 高橋但馬守の子。最上家改易後、新庄藩戸澤家に仕え、谷地の代官を務めた。妻は最上家家臣の草刈虎之助の娘。
2016.12.12:mogapro:[ ◇最上家家臣団(た行)]

高橋但馬守(たかはしたじまのかみ)

 生年不明~没年不明 義光分限帳によると1千石を領した。後世の軍記物である「最上記」にも1千石を領したとの記載が残る。もとは越前の朝倉氏に仕え、その滅亡後に最上家に仕えたという。一説には、高橋但馬守の娘が最上義光の嫡男・最上義康に嫁いだといわれている。生まれた子のうち、二男が義康の死後も生き延びて高橋姓を名乗り、後に帰農したという。
2016.12.11:mogapro:[ ◇最上家家臣団(た行)]

高楯俊福(たかだてとしとみ?)

 生年不明~没年不明 高楯正福の子。父と同じく遠江守を称す。最上家改易に際し、最上家信(義俊)に従って近江国大森に赴いた。俊福の娘は、義俊の二男である義長の妻となった。
2016.11.19:mogapro:[ ◇最上家家臣団(た行)]

高楯正福(たかだてまさとみ?)

 永禄二年(1559)~慶長二十年(1615) 高楯城(山辺町山辺)の城主。遠江守を称す。2千5百石(一説には1万2千石とも)を領した。大坂夏の陣では、江戸城留守居役であった最上家親から派遣されて参陣、57歳で討死した。菩提寺は山辺町の正福寺。
2016.11.17:mogapro:[ ◇最上家家臣団(た行)]

滝沢六右衛門(たきざわろくえもん)

 生年不明~没年不明 滝沢政範の二男。最上家改易後は、本荘藩六郷家に仕え、兵粮方を務めたという。
2016.11.07:mogapro:[ ◇最上家家臣団(た行)]

滝沢惟次(たきざわただつぐ)

 生年不明~没年不明 滝沢政範の長男。信濃守を称す。初め主膳を名乗り、最上家改易後に五郎兵衛に改めた。最上時代のころから父の元を離れて本城満茂に仕えていた。最上家改易後も満茂と行動を同じくし、前橋藩酒井家に仕えた。
2016.11.06:mogapro:[ ◇最上家家臣団(た行)]

滝沢政範(たきざわまさのり)

 生年不明~寛永四年(1627) 滝沢政道の弟。兄の死後、その遺領を継いで滝沢城主となり、1万石を領す。兵庫頭を称す。最上家改易により浪人となり、のちに仁賀保家から五十石の扶助を受けたというが、寛永四年に自害した。
2016.11.05:mogapro:[ ◇最上家家臣団(た行)]

滝沢政道(たきざわまさみち)

 生年不明~慶長十四年(1609) 滝沢氏は由利十二頭の一つ。政道の祖父・政家が矢島(大井)氏に攻められ討死、以降は最上氏を頼った。刑部(兵部)少輔を称す。慶長出羽合戦において軍功をあげ、旧領である由利に1万石を与えられた。家老職を務め、滝沢城(由利本荘市前郷)を築城。慶長十四年正月、黒沢の地において年頭御礼にきた家臣に殺されたという。
2016.11.03:mogapro:[ ◇最上家家臣団(た行)]