HOME >  ◇最上家家臣団(た行)

高楯俊福(たかだてとしとみ?)

 生年不明~没年不明 高楯正福の子。父と同じく遠江守を称す。最上家改易に際し、最上家信(義俊)に従って近江国大森に赴いた。俊福の娘は、義俊の二男である義長の妻となった。
2018.01.07:mogapro:[ ◇最上家家臣団(た行)]

高楯正福(たかだてまさとみ?)

 永禄二年(1559)~慶長二十年(1615) 高楯城(山辺町山辺)の城主。遠江守を称す。2千5百石(一説には1万2千石とも)を領した。大坂夏の陣では、江戸城留守居役であった最上家親から派遣されて参陣、57歳で討死した。菩提寺は山辺町の正福寺。
2018.01.06:mogapro:[ ◇最上家家臣団(た行)]

滝沢六右衛門(たきざわろくえもん)

 生年不明~没年不明 滝沢政範の二男。最上家改易後は、本荘藩六郷家に仕え、兵粮方を務めたという。
2017.12.22:mogapro:[ ◇最上家家臣団(た行)]

滝沢惟次(たきざわただつぐ)

 生年不明~没年不明 滝沢政範の長男。信濃守を称す。初め主膳を名乗り、最上家改易後に五郎兵衛に改めた。最上時代のころから父の元を離れて本城満茂に仕えていた。最上家改易後も満茂と行動を同じくし、前橋藩酒井家に仕えた。
2017.12.18:mogapro:[ ◇最上家家臣団(た行)]

滝沢政範(たきざわまさのり)

 生年不明~寛永四年(1627) 滝沢政道の弟。兄の死後、その遺領を継いで滝沢城主となり、1万石を領す。兵庫頭を称す。最上家改易により浪人となり、のちに仁賀保家から五十石の扶助を受けたというが、寛永四年に自害した。
2017.12.10:mogapro:[ ◇最上家家臣団(た行)]

滝沢政道(たきざわまさみち)

 生年不明~慶長十四年(1609) 滝沢氏は由利十二頭の一つ。政道の祖父・政家が矢島(大井)氏に攻められ討死、以降は最上氏を頼った。刑部(兵部)少輔を称す。慶長出羽合戦において軍功をあげ、旧領である由利に1万石を与えられた。家老職を務め、滝沢城(由利本荘市前郷)を築城。慶長十四年正月、黒沢の地において年頭御礼にきた家臣に殺されたという。
2017.12.09:mogapro:[ ◇最上家家臣団(た行)]

角沢伊勢守(つのざわいせのかみ)

 生年不明~慶長十九年(1614) 最上義光の三男・清水光氏の傅役。光氏が清水家に養子に入った際に同行し、清水家臣となった。角沢楯(新庄市角沢)を築いて居城としていた。義光の跡を継いだ最上家親の命により、清水家が攻め滅ぼされると、念仏坂と呼ばれる地で自害したという。
2017.10.17:mogapro:[ ◇最上家家臣団(た行)]

丹政直(たんまさなお)

 生年不明~没年不明 与惣左衛門。天正年間に仙北地域の小野寺氏に対する備えとして金山城を築城した。金山城(金山町金山)3千石を領したと伝わる。慶長出羽合戦では金山城を守備した。上杉征伐のため山形城に参集した奥羽諸将が自領に戻ろうとするのを、寡兵にて足留めしたという逸話が残る。
2017.10.15:mogapro:[ ◇最上家家臣団(た行)]