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楯岡信義(たておかのぶよし)

 生年不明~没年不明 寺内遠江守(寺内近江守?)の嫡男。小十郎。楯岡満廣の嫡男である親茂が、その伯父・楯岡(本城)満茂の養子となったため、満廣の養子となってその跡を継いだ。後に親茂が急死してしまったことを受け、信義の三男・満旨が本城家の跡を継ぐこととなった。
2017.03.22:mogapro:[ ◇最上家家臣団(た行)]

楯岡親茂(たておかちかしげ)

 生年不明~没年不明 楯岡満廣の嫡男。伯父である楯岡満茂の三女を娶り、満茂の養子となる。最上家の改易に際しては、一族ともに前橋藩酒井家に移る。後に満茂の跡を継ぐが急死してしまい、隠居していた満茂が当主に復帰した。
2017.03.21:mogapro:[ ◇最上家家臣団(た行)]

楯岡満廣(たておかみつひろ)

 生年不明~寛文三年(1663) 楯岡満茂の弟。長門守。関ヶ原の戦い後、兄に従って由利郡に移る。矢島城(由利本荘市矢島町)3千石を与えられた。最上家改易により、兄弟ともに前橋藩酒井家に預けられた。
2017.03.20:mogapro:[ ◇最上家家臣団(た行)]

楯岡満信(たておかみつのぶ)

 生年不明~没年不明 楯岡満茂の嫡男という。播磨守を称す。のちに満茂は、甥の親茂を跡継ぎとすべく養子に迎えていることから、若くして亡くなったものと思われる。満信のほか満茂の子は、大山筑前守光因妻・香林院、大山内膳正光隆妻・於陳女郎、楯岡親茂妻・源高院の3姉妹である。
2017.03.18:mogapro:[ ◇最上家家臣団(た行)]

高橋勘解由(たかはしかげゆ)

 生年不明~没年不明 高橋但馬守の子。最上家改易後、新庄藩戸澤家に仕え、谷地の代官を務めた。妻は最上家家臣の草刈虎之助の娘。
2016.12.12:mogapro:[ ◇最上家家臣団(た行)]

高橋但馬守(たかはしたじまのかみ)

 生年不明~没年不明 義光分限帳によると1千石を領した。後世の軍記物である「最上記」にも1千石を領したとの記載が残る。もとは越前の朝倉氏に仕え、その滅亡後に最上家に仕えたという。一説には、高橋但馬守の娘が最上義光の嫡男・最上義康に嫁いだといわれている。生まれた子のうち、二男が義康の死後も生き延びて高橋姓を名乗り、後に帰農したという。
2016.12.11:mogapro:[ ◇最上家家臣団(た行)]

高楯俊福(たかだてとしとみ?)

 生年不明~没年不明 高楯正福の子。父と同じく遠江守を称す。最上家改易に際し、最上家信(義俊)に従って近江国大森に赴いた。俊福の娘は、義俊の二男である義長の妻となった。
2016.11.19:mogapro:[ ◇最上家家臣団(た行)]

高楯正福(たかだてまさとみ?)

 永禄二年(1559)~慶長二十年(1615) 高楯城(山辺町山辺)の城主。遠江守を称す。2千5百石(一説には1万2千石とも)を領した。大坂夏の陣では、江戸城留守居役であった最上家親から派遣されて参陣、57歳で討死した。菩提寺は山辺町の正福寺。
2016.11.17:mogapro:[ ◇最上家家臣団(た行)]