HOME >  ◇最上家家臣団(あ行)

氏家親定(うじいえちかさだ)

 文禄四年(1595)~寛永十五年(1638) 記録に残る系図によると氏家(成沢)光氏の三男か。隠岐守。左近丞。尾張守を称した兄(名は不詳)が若くして亡くなったため氏家家を継いだとみられる。妻は最上義光の三女竹姫。兄に嫁いでいたという竹姫は親定に再嫁したものか。最上家改易後は萩藩毛利家に預けられた。
2017.04.13:mogapro:[ ◇最上家家臣団(あ行)]

氏家光房(うじいえあきふさ)

 生年不明~没年不明 相模守を称す。氏家定直や守棟の一族の者かと思われる。山形平清水の大日堂に諸願成就を感謝して鉄鉢を寄進している。この鉄鉢には慶長六年(1601)十一月二十八日の銘があり、山形市指定有形文化財になっている。
2017.04.05:mogapro:[ ◇最上家家臣団(あ行)]

氏家光棟(うじいえあきむね)

 生年不明~天正十六年(1588) 氏家守棟の子。光棟も尾張守を称したとも。天正十六年(1588)本庄繁長率いる上杉・大宝寺連合軍が庄内地方に侵攻し、これを迎撃した十五里ヶ原の戦いにて戦死した。
2017.04.04:mogapro:[ ◇最上家家臣団(あ行)]

氏家定直(うじいえさだなお)

 生年不明~元亀元年(1570) 最上家の宿老。伊予守。氏家家は代々、羽州探題最上家の執事を務める家柄である。天文の乱時に、伊達稙宗に味方した主君・最上義守の名代として出陣した。義守とその嫡男・義光が家督をめぐって争った際には、病身をおして調停に入り、義光への家督相続を実現させた。
2017.03.30:mogapro:[ ◇最上家家臣団(あ行)]

大山隆房(おおやまたかふさ)

 生年不明~没年不明 大山光因の子。右京之進。父・光因の養子となった最上義光六男の大山光隆に仕えた。最上家改易により、父と同じく前橋藩酒井家に預けられ、のちにこの酒井家に仕えた。
2017.03.29:mogapro:[ ◇最上家家臣団(あ行)]

大山光因(おおやまあきたね?)

 生年不明~没年不明 大山満因の子。父と同じく筑前守を称す。母は楯岡満茂の姉・南昌院、妻は満茂の娘・香林院。最上義光の六男である光隆を養子とする。最上家改易により、満茂と同じ前橋藩酒井家に預けられた。
2017.03.28:mogapro:[ ◇最上家家臣団(あ行)]

大山満因(おおやまみつたね?)

 生年不明~没年不明 最上氏庶流である楯岡氏の一族。筑前守を称す。妻は楯岡満茂の姉・南昌院。慶長出羽合戦の際には満茂とともに雄勝郡にあって、増田城(横手市増田町)を守備したという。
2017.03.27:mogapro:[ ◇最上家家臣団(あ行)]

漆山九郎兵衛(うるしやまくろうひょうえ)

 生年不明~没年不明 慶長出羽合戦において、上杉軍の大将・上泉主水泰綱に組みかかった剛の者。泰綱もろとも谷川に転げ落ち、途中で岩にぶつかって離れてしまったが、行動を共にしていた金原七蔵が泰綱を討ち取った。
2016.12.27:mogapro:[ ◇最上家家臣団(あ行)]