HOME >  ◇最上家家臣団(あ行)

伊良子宗牛(いらごそうぎゅう)

 生年不明~没年不明 甲斐源氏の支流・秋山氏が三河国渥美郡伊良子村に移り住み伊良子を名乗ったという。最上記によると宗牛は柏木山合戦の際、成沢城防衛のため派遣され、武田信玄が日本国で剛の者として名の知られた武者を聞き出し、書き集めた枕屏風の4番目にその名があったという。
2018.01.15:mogapro:[ ◇最上家家臣団(あ行)]

朝比奈讃岐守(あさひなさぬきのかみ)

 生年不明~没年不明 井出楯(大石田町大石田)の楯主として2千石を領す。天正十三年(1585)、最上義光は井出楯の太田外記を攻めて落城させ、その後に朝比奈讃岐守を配したという。
2018.01.12:mogapro:[ ◇最上家家臣団(あ行)]

大久保主馬介(おおくぼしゅめのすけ)

 生年不明~没年不明 大久保城(村山市大久保)の城主。最上家3代最上満直の三男満頼が大久保の地に入部し、大久保を名乗ったといわれるが、主馬介がその直系子孫かどうかは不明。「最上義光分限帳」によると3百石、「最上記」によると3千石を領したという。
2018.01.04:mogapro:[ ◇最上家家臣団(あ行)]

小国摂津守(おぐにせっつのかみ)

 生年不明~没年不明 小国城主である小国日向守光基の一族と思われる。後世の軍記物である「最上記」によると4千石を領したという。このほか蔵増城8千石としている分限帳もある。
2018.01.02:mogapro:[ ◇最上家家臣団(あ行)]

奥村常陸介(おくむらひたちのすけ)

 生年不明~没年不明 後世の軍記物である「最上記」によると4千石を領したという。最上義康の暗殺に関わったとされる土肥半左衛門を討伐する際、小国日向守と山形の旗本三十六騎とともに討手として派遣されたという。
2017.12.31:mogapro:[ ◇最上家家臣団(あ行)]

小栗正吉(おぐりまさよし)

 生年不明~没年不明 頼母介。義光分限帳によると2千5百石を領していた。一説には、鳥屋ヶ森城(朝日町新宿)の城主であったとも伝わる。最上家改易後は、府中藩徳川家(徳川忠長家)に仕えたといわれている。
2017.12.05:mogapro:[ ◇最上家家臣団(あ行)]

大堀河内守(おおほりかわちのかみ)

 生年不明~没年不明 野辺沢(延沢)城主・野辺沢家の重臣。二藤袋楯(尾花沢市二藤袋)の楯主を務めたという。後世の軍記物である「最上記」によると2千石を領したという。
2017.11.21:mogapro:[ ◇最上家家臣団(あ行)]

有路但馬守(ありじたじまのかみ)

 生年不明~没年不明 野辺沢(延沢)城主・野辺沢家の家老。笹原石見守とともに野辺沢満延(能登守)を支え、「能登内に有路笹原なかりせば義光公にくびを延沢」という狂歌が伝わっている。最上家改易後、有路家は畑沢(尾花沢市)にて帰農したという。
2017.11.13:mogapro:[ ◇最上家家臣団(あ行)]