HOME >  ◇最上家家臣団(は行)

原田大膳(はらだだいぜん)

 生年不明~没年不明 楯岡満茂の重臣。1千石を領したという。小野寺方の岩崎城(湯沢市岩崎)に夜襲を仕掛けて落城させ、岩崎城主となった。後世の軍記物である「最上記」では、酒田城攻略戦の場面に寄せ手の一人として登場する。
2016.12.22:mogapro:[ ◇最上家家臣団(は行)]

本間出雲守(ほんまいずものかみ)

 生年不明~没年不明 後世の軍記物である「最上記」によると2千石を領したという。慶長十年(1605)に山形市の山寺(立石寺)の姥堂を修理したと伝わる。また、山寺地区の伊澤家には本間出雲守が所有した算盤が伝わっているという。
2016.12.17:mogapro:[ ◇最上家家臣団(は行)]

羽島茂兵衛(はしまもひょうえ)

 生年不明~寛永九年(1632) 高橋但馬守の子。高橋勘解由とは腹違いの兄弟。継母との折り合いが悪く、若いときに父の家を出奔したという。最上家改易後、福井藩松平家に仕えた。
2016.12.14:mogapro:[ ◇最上家家臣団(は行)]

日野数馬(ひのかずま)

 生年不明~没年不明 後世の軍記物である「最上記」によると1千石を領したという。同じく1千石を領したという日野備中守光久の一族か。最上家改易後は、山形藩鳥居家に百五十石で仕えたという。
2016.12.05:mogapro:[ ◇最上家家臣団(は行)]

日野惣左衛門(ひのそうざえもん)

 生年不明~没年不明 後世の軍記物である「最上記」によると3千石を領したという。同じく3千石を領したという日野将監光綱の一族か。
2016.11.14:mogapro:[ ◇最上家家臣団(は行)]

日野光綱(ひのあきつな)

 天正五年(1577)?~寛文六年(1666)? 将監を称す。岩波館(山形市岩波)3千石を領したと伝わる。慶長十九年(1614)、最上家親の命により最上義光三男(家親の弟)清水光氏を攻めて自害させた。義親の遺領は最上家の蔵入地となったが、実質的には光綱が管理するところとなり、新庄(新城)沼田城主となった。最上家改易後は、津藩藤堂家に預けられた。
2016.09.11:mogapro:[ ◇最上家家臣団(は行)]

東根親宜(ひがしねちかのり)

 生年不明~寛永三年(1663) 東根景佐の子。父と同じく源右衛門を名乗る。最上義光の四女・禧久姫を娶った。父の跡を継いで東根城1万2千石を領す。城主となって間もない元和八年(1622)に最上家が改易となり、徳島藩蜂須賀家に預けられた。のちに蜂須賀家から千石の知行を与えられ、中老の職に任ぜられた。
2016.08.04:mogapro:[ ◇最上家家臣団(は行)]

東根景佐(ひがしねかげより)

 生年不明~元和六年(1620) 本姓は里見氏。源右衛門。薩摩守を称す。妻の実家は小国日向家であるという。東根城1万2千石を領す。もとは東根城主の東根頼景(天童城主・天童頼澄の弟)の重臣であったが、最上義光に内応し、頼景に代わって城主となったという。その後は、最上家の上級城持家臣の一人として活躍した。
2016.08.03:mogapro:[ ◇最上家家臣団(は行)]