HOME >  ◇最上家家臣団(は行)

日向将監(ひむかいしょうげん?)

 天正十二年(1584)~寛永十七年(1640) 北館利長の甥。父は利長の兄である日向越中守。最上家改易により浪人となる。叔父の利長に酒井家への仕官の話があった際、利長は高齢を理由に辞退し、代わりに甥の将監を推挙したため、庄内藩酒井家に召し抱えられた。
2017.06.28:mogapro:[ ◇最上家家臣団(は行)]

日野栄信(ひのしげのぶ?)

 生年不明~没年不明 日野光久の子。母は中山玄蕃の娘。十兵衛。休甫入道を称す。最上家改易により仙台藩伊達家家臣の片倉重長に仕えた。片倉家においては、家老の職を務めた。
2017.06.17:mogapro:[ ◇最上家家臣団(は行)]

日野光久(ひのあきひさ)

 生年不明~没年不明 備中守を称す。山辺城主、のち塩ノ沢楯主(大石田町横山)か。庄内川南地域と由利郡の検地を担当するなど、庄内支配の実務を担当した。由利郡の検地では、5万4千8百石を調べ上げ「備中棹」の異名を取ったという。
2017.06.15:mogapro:[ ◇最上家家臣団(は行)]

堀喜吽(ほりきうん)

 生年不明~慶長五年(1600) 最上義光の御伽衆。筑紫喜吽とも。筑前で生まれ、兵法家として諸国を巡り、今判官と称した。連歌にも長じており、義光とともに京での連歌会に出席している。慶長出羽合戦の際、撤退する上杉軍に対し自ら先頭に立って追撃する義光を諌めたが、逆に臆病者と罵倒されたため単騎で突撃したところを、上杉軍の鉄砲隊に撃ち抜かれ、義光の馬前で戦死。この時、義光自身も兜に銃弾を受けた。
2017.05.26:mogapro:[ ◇最上家家臣団(は行)]

八森高茂(はちもりたかしげ)

 生年不明~没年不明 楯岡満茂の末弟。信濃守。すぐ上の兄・楯岡満廣が治めていた矢島城は、別名八森城ともいい、その八森を名乗った可能性がある。最上家改易により、三兄弟ともに前橋藩酒井家に預けられた。
2017.03.24:mogapro:[ ◇最上家家臣団(は行)]

原田大膳(はらだだいぜん)

 生年不明~没年不明 楯岡満茂の重臣。1千石を領したという。小野寺方の岩崎城(湯沢市岩崎)に夜襲を仕掛けて落城させ、岩崎城主となった。後世の軍記物である「最上記」では、酒田城攻略戦の場面に寄せ手の一人として登場する。
2016.12.22:mogapro:[ ◇最上家家臣団(は行)]

本間出雲守(ほんまいずものかみ)

 生年不明~没年不明 後世の軍記物である「最上記」によると2千石を領したという。慶長十年(1605)に山形市の山寺(立石寺)の姥堂を修理したと伝わる。また、山寺地区の伊澤家には本間出雲守が所有した算盤が伝わっているという。
2016.12.17:mogapro:[ ◇最上家家臣団(は行)]

羽島茂兵衛(はしまもひょうえ)

 生年不明~寛永九年(1632) 高橋但馬守の子。高橋勘解由とは腹違いの兄弟。継母との折り合いが悪く、若いときに父の家を出奔したという。最上家改易後、福井藩松平家に仕えた。
2016.12.14:mogapro:[ ◇最上家家臣団(は行)]