最上家信(もがみいえのぶ)

 慶長十年(1605)~寛永八年(1631)

 最上家13代当主。最上家親の嫡男。父の急死により13歳で家督を継ぐ。年若く、国政を執るには力不足だったため、家臣団の間では叔父の山野辺光茂(義忠)を擁立する動きが広がり、最上家中は家信擁護派と光茂擁立派に分かれ騒動となった。幕府が介入して取り成しを図ったが、重臣達はこれを受け入れず、国の仕置きができないとして改易された。改易後、名を義俊(よしとし)に改めた。

2017.01.22:mogapro:[ ◎最上家歴代当主 ]