一栗高春(いちくりたかはる)

 生年不明~慶長十九年(1614)

 豊後守、のち兵部を称す。名は隆春とも。大崎家旧臣で玉造郡一栗城主を務めた。葛西・大崎一揆では、伊達政宗率いる鎮圧軍を相手に奮戦し、徹底抗戦を貫いた。戦後は出羽に落ち延びて最上義光に仕え、田川郡添川館主、また鶴ケ岡城番を務めたという。義光が亡くなり最上家親が家督を継ぐと、これに異を唱え、鶴ケ岡城下の新関因幡守邸にて亀ケ崎(酒田)城主の志村光惟と尾浦城主の下吉忠を襲撃して殺害、添川館に立て篭るも鎮圧され討死したという。

2015.05.02:mogapro:[ ◇最上家家臣団(あ行)]