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多田義賢(ただよしかた)

 生年不明~没年不明 楯岡光直の子ともいうが詳細は不明。楯岡義賢とも。楯岡城(村山市楯岡)の最後の城主。楯岡城址の麓にある愛宕神社入口に「楯岡城主多田義賢の碑」が残る。
2016.02.25:mogapro:[ ○最上家一門 ]

松根光広(まつねあきひろ)

 天正十七年(1589)~寛文十二年(1672) 長瀞義保の子。備前守。白岩光広。白岩行広とも。数え3歳で父を亡くしたため、最上義光が息子同様にして育てたという。白岩備前守広教の養子となり、白岩氏を継いで白岩城主となった。元和元年(1615)松根城(鶴岡市松根)を築城して城主となり、松根氏を称した。最上家親が急死した件を、楯岡光直による毒殺であると幕府に訴え出た。幕府は調査したが証拠が無く、光広を柳川藩立花家へ配流する処分を下した。
2016.02.23:mogapro:[ ○最上家一門 ]

中野義建(なかのよしたつ)

 生年不明~没年不明 最上家8代当主・最上義淳の二男。中野城主。最上家7代当主・最上満氏は中野家の出身であったことから、その子・義淳は、最上家と中野家の当主を兼ねており、嫡男の義定には最上家を、弟の義建には中野家を継がせた。 
2015.12.31:mogapro:[ ○最上家一門 ]

中野廣成(なかのひろなり)

 生年不明~没年不明 中野清定の子。忠右衛門。はじめ成宗を名乗る。最上義光の従兄弟。父・清定から中野城主を継いだかどうかは不明。義光の嫡男・最上義康に仕えた。義康が非業の死を遂げると、陸奥国苅田郡に住んだ。元和元年になって伊達家重臣の片倉氏に仕え、この時、曾祖父の中野義建が没したという引地の地名を姓とした。
2014.12.31:mogapro:[ ○最上家一門 ]

中野清定(なかのきよさだ)

 生年不明~没年不明 中野義清の長男。最上家10代当主・最上義守の実兄。父・義清から中野城主を継いだものと思われる。
2014.12.30:mogapro:[ ○最上家一門 ]

中野義清(なかのよしきよ)

 生年不明~没年不明 中野義建の子。中野城主。最上家10代当主・最上義守の実父。大永元年(1521)に天童・成生両氏から攻撃を受け灰燼に帰した、山寺立石寺の再興に努めた。
2014.12.29:mogapro:[ ○最上家一門 ]
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