最上義康(もがみよしやす)

 天正三年(1575)~慶長八年(1603)※慶長十六年(1611)説あり

 最上義光の嫡男。慶長出羽合戦の際には、父の命を受け伊達政宗のもとへ救援要請に赴き、援軍派遣を了承された。従兄弟の政宗とは仲が良かったと伝わる。上杉軍への追撃戦では、最前線で戦い苦境に陥っていた義光を救う活躍をした。もともと父とは良好な関係であったが、家臣の讒言や弟・家親と徳川家康との関係などから疎遠となり、義光から高野山への退去を命ぜられた。その道中、土肥半左衛門らが率いる鉄砲隊に撃たれ負傷し、自刃した。

2017.01.24:mogapro:[ ○息子・娘 ]