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最上義守(もがみよしもり)

 大永元年(1521)~天正十八年(1590) 最上家10代当主。先代の最上義定が跡継ぎの無いまま亡くなったため、一族の中野氏からわずか2歳で当主に迎えられた。義定が長谷堂城の戦いにて伊達稙宗に敗北して以降、最上家は伊達家の影響下におかれていたが、義守は稙宗とその子晴宗が争った天文の乱時に伊達領へ出兵し、独立を果たした。嫡男・義光と不和になり、義守は周辺の国人衆を味方に付け、さらには娘婿の伊達輝宗に助勢を求め、義光と対立した(天正最上の乱)。この争いに敗れた義守は隠居し、以降、表舞台に出ることはなかった。
2017.01.16:mogapro:[ ○父・母 ]

小野少将の娘(おのしょうしょうのむすめ)

 生年不明~没年不明 最上義光の母については、はっきりしたことが分かっていない。一説には、小野少将の娘で、庄内狩川の出身であるといわれている。また、永甫尼という女性ともされるが、この女性は、義光の父である義守の母、若しくは義守の姉妹ではないかとも考えられるという。慶長八年(1603)義光は山形の千手堂に、年老いた母のために御詠歌の額を奉納したという。
2016.01.25:mogapro:[ ○父・母 ]
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