天正十年(1582)~寛永三年(1626)
野辺沢満延の子。のち光昌(あきまさ)。遠江守。最上義光の長女松尾姫を娶った。父の死後に家督を継ぎ野辺沢城2万石の城主となる。慶長出羽合戦では、長谷堂城救援のため出陣、続いて上杉領であった庄内地方を攻略した。慶長十九年(1614)には、義光の跡を継いだ最上家親の命により、義光三男清水光氏の居城である清水城を攻め落とした。最上家改易後は熊本藩加藤家に預けられた。