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大山隆房(おおやまたかふさ)
生年不明~没年不明 大山光因の子。右京之進。父・光因の養子となった最上義光六男の大山光隆に仕えた。最上家改易により、父と同じく前橋藩酒井家に預けられ、のちにこの酒井家に仕えた。
2017.03.29:mogapro:[ ◇最上家家臣団(あ行)]
大山光因(おおやまあきたね?)
生年不明~没年不明 大山満因の子。父と同じく筑前守を称す。母は楯岡満茂の姉・南昌院、妻は満茂の娘・香林院。最上義光の六男である光隆を養子とする。最上家改易により、満茂と同じ前橋藩酒井家に預けられた。
2017.03.28:mogapro:[ ◇最上家家臣団(あ行)]
大山満因(おおやまみつたね?)
生年不明~没年不明 最上氏庶流である楯岡氏の一族。筑前守を称す。妻は楯岡満茂の姉・南昌院。慶長出羽合戦の際には満茂とともに雄勝郡にあって、増田城(横手市増田町)を守備したという。
2017.03.27:mogapro:[ ◇最上家家臣団(あ行)]
長瀞光忠(ながとろあきただ)
生年不明~没年不明 長瀞義保が戦死したことにより長瀞氏を継いだ可能性もあるが、義保との関係は不明。文禄五年(1596)湯沢城に拠る楯岡満茂が小野寺義道の攻撃を受けた際、小国光基とともに救援に赴いて撃退した。その後、秋田仙北の増田城(横手市増田町)の城主となった。
2017.03.26:mogapro:[ ◇最上家家臣団(な行)]
八森高茂(はちもりたかしげ)
生年不明~没年不明 楯岡満茂の末弟。信濃守。すぐ上の兄・楯岡満廣が治めていた矢島城は、別名八森城ともいい、その八森を名乗った可能性がある。最上家改易により、三兄弟ともに前橋藩酒井家に預けられた。
2017.03.24:mogapro:[ ◇最上家家臣団(は行)]
楯岡信義(たておかのぶよし)
生年不明~没年不明 寺内遠江守(寺内近江守?)の嫡男。小十郎。楯岡満廣の嫡男である親茂が、その伯父・楯岡(本城)満茂の養子となったため、満廣の養子となってその跡を継いだ。後に親茂が急死してしまったことを受け、信義の三男・満旨が本城家の跡を継ぐこととなった。
2017.03.22:mogapro:[ ◇最上家家臣団(た行)]
楯岡親茂(たておかちかしげ)
生年不明~没年不明 楯岡満廣の嫡男。伯父である楯岡満茂の三女を娶り、満茂の養子となる。最上家の改易に際しては、一族ともに前橋藩酒井家に移る。後に満茂の跡を継ぐが急死してしまい、隠居していた満茂が当主に復帰した。
2017.03.21:mogapro:[ ◇最上家家臣団(た行)]
楯岡満廣(たておかみつひろ)
生年不明~寛文三年(1663) 楯岡満茂の弟。長門守。関ヶ原の戦い後、兄に従って由利郡に移る。矢島城(由利本荘市矢島町)3千石を与えられた。最上家改易により、兄弟ともに前橋藩酒井家に預けられた。
2017.03.20:mogapro:[ ◇最上家家臣団(た行)]