長瀞光忠(ながとろあきただ)

 生年不明~没年不明

 長瀞義保が戦死したことにより長瀞氏を継いだ可能性もあるが、義保との関係は不明。文禄五年(1596)湯沢城に拠る楯岡満茂が小野寺義道の攻撃を受けた際、小国光基とともに救援に赴いて撃退した。その後、秋田仙北の増田城(横手市増田町)の城主となった。

2016.02.21:mogapro:[ ◇最上家家臣団(な行)]