山野辺光茂(やまのべあきしげ)

 天正十六年(1588)~寛文四年(1664)

 最上義光の四男。のち義忠(よしただ)。慶長出羽合戦後に父・義光の命により山野辺家の名跡を継ぎ、山野辺城主となった。山野辺の城下町整備や治水事業を行うなど、優れた行政手腕を発揮して領民に慕われた。兄・家親が急死し、その子家信が藩主を継いだが、家信は若年ゆえに国政を執るには力不足で、光茂を当主に推す声が強くなった。このため家臣団がまとまらず、最上家改易の原因となった。改易により光茂も岡山池田家に預けられた。のちに水戸藩の家老となり、徳川(水戸)光圀の教育係を務めた。

2017.01.28:mogapro:[ ○息子・娘 ]