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異名その2 出羽の驍将(でわのぎょうしょう)

 驍将とは、強く勇ましい大将のことを指す言葉である。最上義光を驍将と表現した初出は、昭和四十二年(1967)に発行された日本の武将60「奥羽の驍将-最上義光-」(人物往来者:誉田慶恩氏著)と思われる。 この「奥羽の驍将」は長らく義光研究の必読書とされてきたが、その内容は義光を積極的に評価したものではなく、現在では提示された義光像に疑義が提起されている。 参考:最上義光歴史館 http://mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=356221
2015.01.01:mogapro:[▼最上義光]

異名その1 虎将(こしょう)

 幕末の儒学者・塩屋宕陰(しおのやとういん)が、当時の山形藩主・水野忠精(みずのただきよ)に従って山形に滞在した際、詠んだ漢詩の中で最上義光のことを「虎将」と讃えたことによる。 これは、義光の官職名・左近衛少将(さこのえごんしょうしょう)の唐名である虎賁中郎将(こほんちゅうろうしょう)にちなむものと思われる。義光の異名のうち最も古いものといわれている。 参考:最上義光歴史館 http://mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=31958
2015.01.01:mogapro:[▼最上義光]

最上義光略年表

最上義光の生涯を年表形式にまとめました。各項目の時期・内容については諸説ありますので、これが正しいとは限りません。新しい情報があり次第、適宜修正を加えていく予定です。年月項  目年齢天文15年(1546)1最上義守の嫡男として山形城にて誕生 幼名白寿丸1永禄3年(1560)1元服し将軍足利義輝から「義」の字を賜り義光と名乗る15従五位下右京大夫に叙任3寒河江攻めの戦において初陣永禄4年(1561)蔵王温泉にて盗賊の首領を討ち取る16永禄5年(1562)17永禄6年(1563)6父義守と共に上洛 将軍足利義輝に拝謁18永禄7年(1564)妹の義姫が米沢城主・伊達輝宗に嫁ぐ19永禄8年(1565)8五百川合戦に出陣 八ツ沼城と鳥屋ヶ森城を攻略20永禄9年(1566)21永禄10年(1567)8義姫の子・梵天丸(伊達政宗)が誕生22永禄11年(1568)23永禄12年(1569)24元亀元年(1570)父義守と険悪になる 宿老氏家定直の仲裁により家督を相続25元亀2年(1571)義守が出家し栄林と号す26元亀3年(1572)27天正元年(1573)28天正2年(1574)1天正最上の乱がおこ ...続きを見る
2015.01.01:mogapro:[ □最上義光略年表]

最上(もがみ)

 大昔、現在の山形県内陸地方の村山盆地は大きな湖であったといい、藻ヶ湖(もがうみ)と呼ばれていた。 伝説では、この湖の北側の山を行基上人が開削したことにより水位が低下し、盆地が形成されたといわれている。 その盆地を流れる大河が最上川であり、その流域を最上と呼んだという。
2015.01.01:mogapro:[▼最上家用語の基礎知識]

羽陽(うよう)

 出羽国のうち南半分の地域を羽陽と呼ぶことがある。 それに対し、北半分の地域を羽陰と呼ぶが、その使用事例は多くない。
2015.01.01:mogapro:[▼最上家用語の基礎知識]

奥羽(おうう)

 陸奥国(奥州)と出羽国(羽州)を合わせた地域の呼称。 現在の東北地方を指す表現としては「奥羽」を用いた方が正確であり、「奥州」を用いることは稀である。
2015.01.01:mogapro:[▼最上家用語の基礎知識]

陸奥国(むつのくに)

 現在の青森県、岩手県、宮城県及び福島県に相当する地域の旧国名。 奥州とも呼ばれる。 明治維新後、新政府により5か国に分割された。 江戸時代以前は、陸奥国もしくは奥州を用いることに注意。
2015.01.01:mogapro:[▼最上家用語の基礎知識]

出羽国(でわのくに)

 現在の山形県と秋田県に相当する地域の旧国名。 羽州とも呼ばれる。 明治維新後、新政府により南部の羽前国と北部の羽後国に分割された。 江戸時代以前は、出羽国もしくは羽州を用いることに注意。
2015.01.01:mogapro:[▼最上家用語の基礎知識]