土肥半左衛門(どいはんざえもん)

 生年不明~元和二年(1616)

 越中弓庄城の城主であった土肥政繁の子。姉婿が下吉忠であることから、慶長出羽合戦の庄内攻略戦に加わり、下家の一党として最上家に仕えた。最上義康襲撃事件の実行犯の一人とされる。下次右衛門が横死すると下家を取り仕切るようになるが、これを妬んだ同輩の原頼秀に、越中以来の譜代の家臣達を集め謀反の兆しありと讒訴されたという。これを真に受けた最上家親から寒河江への所替を命ぜられ、その途中の倉津(天童市蔵増)にて家親の手勢に襲撃され自刃した。これにより下長門守有沢釆女などの下一族が最上家を退去した。

2018.05.07:mogapro:[ ◇最上家家臣団(た行)]