大崎夫人(おおさきふじん)

 生年不明~文禄四年(1595)

 最上義光の正室とされる。釈妙英、名は「としよ」とする説も。大崎家11代当主・大崎義直の娘。奥州探題大崎家は、羽州探題最上家の本家にあたる。義光の二女駒姫の生母ではないかと考えられる。最上家が豊臣政権に臣従したのちは、人質として上洛し京で暮らした。駒姫が豊臣秀次事件に連座して処刑されると、そのあとを追うようにして亡くなった。悲しみのあまり、自ら命を絶ったのではないかともいわれている。

2017.02.08:mogapro:[ ○奥方 ]