浦山筑後(うらやまちくご)

 生年不明~没年不明
 主君・最上義光から三条河原で処刑される駒姫の最期を見届けるよう命じられた。これに対し筑後は、雑兵の手にかかる前に姫君の御首を打ち、腹を切ってお供しようと決心を固めていた。このことを知った義光は、その忠義を惜しんで筑後を留めおき、下人の中から賢い者を選んで遣わしたという。

2018.04.17:mogapro:[ ◇最上家家臣団(あ行)]