天正十二年(1584)~寛永三年(1626)
最上義光の三女。最上家代々の重臣である氏家家に嫁ぐ。はじめ氏家光氏の子である尾張守(名は不詳)に嫁ぐが、若くして亡くなってしまったため、弟の親定に再嫁したという。最上家改易に伴い、夫とともに長州萩にて暮らした。