慶長七年(1602)~寛永二年(1625)
最上義光の六男。内膳正。元和元年(1615)に2万7千石にて庄内大山(尾浦)城主となり、大山姓を名乗った。妻は楯岡満茂の二女である於陳女郎。元和八年(1622)最上家改易により広島藩浅野家に身柄を預けられ、その数年後に死去。