天文十七年(1548)~元和九年(1623)
最上義守の長女。17歳で伊達輝宗に嫁ぐ。お東の方。伊達政宗の母。兄・最上義光が政宗を攻めようとした際には、戦場に輿で乗り付けて停戦を訴え、ついには義光が折れて和睦に至っている。文禄三年(1594)岩出山から実家である山形に戻った。義光が直江兼続率いる上杉軍に攻められた際には、政宗に援軍を催促する書状を送った。最上家が改易されると、仙台に引き取られた。