『7人展Ⅸ』の1 帰宅時間&負けるな
最初は遠藤博さんの「帰宅時間」(左)と「負けるな!」(右)。「帰宅時間」は、四季の郷駅に降りて、家路へと向かう人が映っています。四季の郷駅のイルミネーションを見たことのある方には、幻想的なイルミネーションのトンネルが甦るのではないでしょうか。
「負けるな!」は、羽前成田駅から白兎駅の区間で、フラワー号と競走大会をした際の写真。必死になって走っている人とそれを応援する人。そんな沿道の人たちを見て走るフラワー号が笑っているようです。
「旅と鉄道」の取材を受けました
成田駅に「旅と鉄道(イカロス出版)」の編集者とライターの方がおいでになりました。おらだの会の設立経過や活動内容などを取材していかれました。同誌の2024年10月号「特集・木造駅舎紀行」では、羽前成田駅が紹介されました。写真と文章で木造駅舎の魅力を様々な視点から解き明かしてくれた記事は、とても興味深く、参考になるものでした。
→ 木造駅舎の魅力 (「旅と鉄道~木造駅舎紀行」から):おらだの会
今回はフラワー長井線の風景などの他に食べ物や旅館なども含めて、トータルな旅の魅力を紹介する内容になるようです。ライターの方は「居酒屋放浪記」の吉田類さんに似ていて親しみを感じたので、ほろ酔いの力を借りて駅や鉄道の魅力について質問しました。ライターさんは「駅舎や鉄道には、旅の一コマとともに日常の暮らしの風景がある。この二つが交錯する場所が駅であり、鉄道であり、そこに優しくて温かい人の存在を感じる、それが魅力かな。だから駅や鉄道の写真には、人が映っていて欲しい。」と語ってくれました。
振り返るとフラワー長井線の魅力を表現したいと考えて、「長井線ポスター紀行」「長井線乗車リポート」「長井線読切りエッセー」などの記事を投稿したものです。今回おいでになられたお二人には、山形鉄道の魅力、旅の楽しみ方を、胸がいっぱいになる程に表現して欲しいと思います。来たる8月20日発売の「旅と鉄道(10月号)」を片手に、車窓を眺め駅舎に降りる旅人の姿を見たいものです。
→ 長井線ポスター紀行:おらだの会
→ 長井線乗車リポート:おらだの会
→ 長井線読切りエッセー:おらだの会
ああふる里、停車場そして友達
7月13日、中学時代の同級会に11人の幼馴染が集まった。その一人がラインに、「中学生時代に撮った故郷の停車場です。」と投稿してくれたのが、上の写真である。その投稿に対して同級生からたくさんのコメントが寄せられた。
○とっても懐かしい汽車の写真、ありがとうございました。当時を思い出しました。
○3月下旬、ネコヤナギの芽が膨らみ、マンサクの花が咲く頃、次々と汽車に乗って旅立つ友を見送った。
○集団就職の時代、高度経済成長の大きなうねりの中に飛び込んでいった。「頑張れよ!」「お盆に帰って来いな!」
○懐かしくて物悲しい米坂線の冬景色。絶対、米坂線を復活させて欲しいです。
この日、地元紙の参院選関連シリーズに「長期運休続くJR線 復旧へ政治の力が必要」という記事が出されていた。副知事に国交省職員が登用されたとも報道されている。さて「米坂線を復活させて欲しい」と言うのは、故郷を棄てた年寄りの単なるノスタルジーなのでしょうか。
【おらだの会】写真は1970年(昭和45年)頃の米坂線羽前沼沢駅
8往復、国鉄時代と同じですね
さてさて、関西からおいでになったライターさんが、「駅銘板の秘密」に続いて発見したのがこの写真でした。これは1987年(昭和62年)12月30日に、羽前成田駅協力会が『新生長井線誕生祈願餅つき大会』を行ったものです。何故、12月30日に駅の待合室で餅つきをすることになったのか。一つは翌年の4月20日に山形鉄道株式会社が創立されることになったこと。2点目は赤湯駅に山形新幹線が停車することになり、新生長井線に旅行客が来てくれることを祈った。そして3点目は、駅協力会(おらだの会の先輩方)の一人が、お餅大好き人間がだったことなのです。
そんなことはどうでもいいですが、関西のライターさんはこの写真を見て一言。「今の長井線と同じ8往復だったのですね。」と。今年の3月までは12往復だったのですが、4月から諸般の事情により8往復になっていたのです。減便で不便を感じている人が多いかもしれませんが、The国鉄時代と同じだったのです。さすがにライターさんはすごいですね。
さて、大正3年の赤湯~長井間開通時の本数は、新長井市史によれば5往復でした。5往復、8往復、12往復、8往復・・・。山鉄は国鉄時代から1.5倍増便した。今、8往復に戻さざるを得なかった。そこには苦渋と悔しさと、申し訳なさがあったはずだ。私たち住民は、この社員の悔しさを知らなければならないだろう。今日スタートした「7人展」のテーマは「頑張れ!山鉄」だ。
駅名看板に隠された秘密?
国鉄時代は看板などは駅の職員の手作りであった、と聞いたことがあった。とすれば、前のものに上書きして使うことは容易に想像できる。けれども行き先駅名が違っているのである。表示からすればこの駅名看板は、線路の西側か待合室の内部又は車寄せの上部に設置されるべきものである。残念ながら今のところ、この看板が使われていた写真や記録は発見できていない。
防雪林の所にすれ違い線があったというが、この看板がもう一つのホームがあったことの証拠品であれば面白いと思うが。さて、この看板は何を語っているのだろうか。たかが看板、されど看板である。
関西からおいでの方から教えてもらったもう一つの秘密は次回紹介します。
→ たかが駅名板、されど駅名板:おらだの会
→ 成田駅の宝物(32) 国鉄時代の駅名看板:おらだの会





