1月14日は朝仕事に続いて、12時01分発の上り列車に乗車し、あやめ公園駅下車。徒歩にて総宮神社に参拝し、はぎ苑での新年会。これがおらだの会の新年のルーティンコースです。
今年は地元の日進堂菓子舗の協賛を得て大カラオケ大会を実施したこともあって、参加者は過去最高に上りました。その中には成田出身で仙台在住の落語家さん、五十川出身で神奈川在住の方とその友人で名古屋在住の方もいます。写真は「祝い船」をデュェットで唄う初代会長・石塚さんと2代目会長・峯村さんです。
成田出身の落語家さんが唄った曲は、海援隊の「ふるさと未だ忘れがたく」でした。彼が万歳三唱に立った時に語った言葉が胸に沁みました。「カラオケを歌いながら、ふるさとはやっぱりいいなぁ、とつくづく思いました。今度は孫と一緒に長井線に乗りたいと思います。今日は呼んでくれてホントにありがとうございました。」
まるで3月のような暖かな日差しに包まれた一日でした。皆さん、今年もよろしくお願いします。
カラオケ三昧 新年会
電飾終了です
1月14日、今日は朝から電飾の撤去作業です。今年は電飾童子なども登場して、なかなかドラマチックな1ヶ月となりましたが、先日、ある方から嬉しい短歌をいただきました。
娘(こ)の帰省 迎える無人の 成田駅 4時ともなれば 電飾の灯れり
(薄暗くなって寂しい駅に電飾が点いてくれることに感謝して)
母を案じて帰省する娘さんを駅まで迎えに行く母。二人の間にはどんな会話が交わされるのだろうか。私たちが設置した電飾を喜んでくれている人がいたことに感謝したい気持ちです。娘さんの心情を想像して一句。
電飾の 灯れる駅に 降り立てば 変わらぬ笑顔で 母の待つらん
電飾童子はこちらから
駅に残る思い その5(おらだの会のお仕事風景)
この写真は2011年(平成23年)6月18日に撮影されたものである。撮影してくれたのは同じ町内に住む小笠原さん。小笠原さんの愛猫チャーが「楽しみだニャー」と言っているのは、6月26日に羽前成田駅の第1期改修事業のお披露目会のことである。
ホームでは職人がコンクリートの仕上げをやっている。会長などがサッシ戸を磨いている。待合室の入口には「6月26日成田駅へ集合」のチラシ。駅舎修繕のきっかけとなった「なつかしいふるさとの駅舎を再現しました」の看板も見える。
竣工式の写真は残っているものの、その準備段階の写真はなかなか残せないものである。それにしても「おらだの会のお仕事風景」というタイトルはとても素敵だ。イベントの前の地道な作業をやってくれていた先輩方がいたこと。そしてそれを温かく見守ってくれた町内の人がいたことを嬉しく思う。それは、これからもずっと大切にしていきたいことだ。
駅に残る思い その4(ホームのかかし)
ラミネート処理されたこの写真には「第1回フラワー長井線かかしまつり 最優秀賞『たきび』 成田貧困会様」との説明がある。山形鉄道に問い合わせたところ、かかし祭りコンクールが開催されたのは2007年(平成19年)とのことだった。
コンクールには成田貧困会(代表 今野武)の他に山形工科短大、沿線の高等学校3校、保育園や小学校などが参加し、投票の結果最優秀に輝いたのである。成田貧困会は、上山市で開催される全国かかし祭りでも数年続けて大賞を受賞している。いわば特殊な才能を持った集団だったである。
それはさておき展示された駅は成田、荒砥、長井、宮内駅の他に南長井駅、鮎貝、白兎、時庭、梨郷駅など9駅である。これは、最近の長井線祭りのイベント会場数の約2倍である。またコンクールに参加した団体名をみると、主催者がかなり熱心に参加を呼び掛けたことが伺える。かかし祭りは、由利高原鉄道やいすみ鉄道などでは今も行っているようであるが、山形鉄道ではこの1回限りで終わってしまった。継続するのが大変だったのだろう。
成田駅で鮎貝りんごのパネルをホーム側に設置していると、乗客の多くが驚いたようにスマホをかざす姿が見られる。無人駅であっても、いや無人駅だからこそ、乗客を歓迎する仕掛けが可能なのではないか。この写真を単に過去の記録として埋もれさせて良いものだろうか。
駅に残る思い その3(征峰作)
書棚の奥の奥から「征峰」の雅号が記されたもう一枚の絵が出て来た。おらだの会第3代会長である故宮崎征一さんの作品である。宮崎さんは駅舎の修繕を行うと共に、鉄道写真家・広田泉さんとの「縁」をつくった方である。
期せずしてこの度、成田駅に多大な貢献をされた佐々木郁雄さんと宮崎さんの作品を同時に見ることになった。宮崎さんが書をたしなむのは知っていたが、絵を描くことは初めて知った。二人は平成6年頃から、駅舎で展示会をやろうと考えていたのかもしれない。酒飲み以外に会員個々の趣味や特技を持ち寄ることも楽しいことかもしれない。
2016年(平成28年)の同じ月に鬼籍に入られた二人である。雲の上で酒を酌み交わしながら、私たちのことを眺めているかもしれない。二人の思いに心を馳せ、時には時代の変節に翻弄されながらも、青竹のようにその節を重ねていきたいものだ。