HOME >   №3 わさやの怪盗

成田村伝説  第3話 わさやの怪盗 (8)

  • 成田村伝説  第3話 わさやの怪盗 (8)
  • 成田村伝説  第3話 わさやの怪盗 (8)

   佐々木家は地域の産業、文化、宗教に至るまで大変な貢献をしています。宇考(第6代宇右衛門 1739年~1820年)から、宇喬、凉莎、宇涛(第9代 1820年~1869年)の4代は、俳諧に秀でた人物でした。また10代目宇右衛門は、魚心の雅号を持つ川柳家であると共に、殖産興業に尽力し衆議院議員(第5回選挙)にも当選した政治家でもあります。

 福蔵院に建てられた句碑、そして佐々木家の敷地を流れて製糸工場の水力となったであろうオヨ川(及川・泳川)の石積みに、佐々木家が残した功績を偲ぶことができます。見慣れた風景の中に、町の歴史と記憶が刻まれています。成田街道を通る時に、「わさやの怪盗」を思い出していただければ幸甚です。それでは「わさやの怪盗」これにて打ち止め、とうびんと。

 

【おらだの会】この物語は、横山文太郎著「成田の歴史」(昭和53年3月 致芳史談会発行)をもとに制作したものです。宇考、宇喬、斗六の句碑は、福蔵院本堂前の松の木の下に建てられています。

 

成田村伝説  №3.わさやの怪盗 (7)

  • 成田村伝説  №3.わさやの怪盗 (7)
  • 成田村伝説  №3.わさやの怪盗 (7)

 成田村の伝説と佐々木家の歴史を、静かに見続けて来た栗の木に登場してもらいましょう。栗の木は佐々木家の象徴ともいえるもので、栗斉、栗園などと雅号にも栗の字を使われていました。

古い写真は、「写真で見る致芳」に掲載されているもので、「大正時代の写真と思われる。…。毎年上杉藩主に献上されたと言われている。立っている人は長井村村長佐々木宇右衛門(太郎助:第11代)氏。」と記されています。その栗の木の子になるのか孫になるのか分かりませんが、今もなお2本の巨木が枝を広げており、往時の姿を偲ぶことができるようです。

成田村伝説 №3.わさやの怪盗 (6)

  • 成田村伝説 №3.わさやの怪盗 (6)
  • 成田村伝説 №3.わさやの怪盗 (6)

  わさやの怪盗伝説は先の通りですが、佐々木家の今昔について写真でご紹介しましょう。昭和45年(「写真で見る致芳」より)と現在の佐々木家の写真です。「成田の歴史(横山文太郎著:致芳史談会発行)」によれば、昭和47年に佐々木家に7棟あったうちの県道沿いの蔵一棟が譲渡されたという。この蔵は、佐々木家の記録には天保年間に造り替えたとされる蔵であったというのである。わさやの怪盗が潜んだのは、この県道沿いの内蔵かと思われますが、今はそれも解体され、本宅の一部分しか残っていないのは、とても残念なことです。

成田村伝説  №3.わさやの怪盗 (5)

  • 成田村伝説  №3.わさやの怪盗 (5)

 泥棒が帰りしなに佐々木家に立ち寄って言うことには、「私はこちら様の土蔵を破ろうとした泥棒です。わさやの上に7晩泊って狙ったが、人通りが絶えなくて破ることが出来なくて諦めて今帰るところです。この後も私のような不心得者が居らないとも限りませんから、蔵のわさやは人が隠れられないように改築したら如何でしょう。私は二度と再びこの地には来る気もありませんので、7日間御厄介になったお礼に申し上げておきます。」泥棒はそのまま何処ともなく立ち去った。佐々木家ではこの泥棒の話を誰が聞いたかわからないが、すぐにこの蔵のわさやを泥棒の忠告通りに造り替えたという。

 当地の蔵のわさやは大抵天床壁の上、屋根まで2尺5寸か3尺くらい間があり、人間は何人でも隠れ住むことができる。この佐々木家の内蔵は天床壁から直で屋根になっていて、猫も上がれないようになっていたというのである。

 

【写真:白浪5人男】この盗人は爽やかで、歌舞伎の一場面を見るようである。怪盗というよりは快盗が適当だったかもしれない。快盗の見えに佐々木家では「あいや待たれや盗人殿。袖すり合うも何かの縁。旅のよすがに栗の一枝を持っていかれよ。」と言ったとか。

 

成田村伝説  №3.わさやの怪盗 (4)

  • 成田村伝説  №3.わさやの怪盗 (4)

 古老からこんな言い伝えを聞いたことがあった。昔(それはいつの頃かわからない。)泥棒が佐々木家の倉をねらって破ろうとした。倉のわさやに隠れて人の寝静まるのを待った。それに道端なので人通りが途絶えるのを待たなければならない。なかなか人通りが絶えず、とうとう第一夜は何も仕事は出来ずにしまった。泥棒は次の晩に、今晩こそはと思ったが、その晩もとうとう駄目だった。こうして、とうとう7晩経ってしまって、泥棒も諦めて引き上げることにした。それにしてもこんな田舎で真夜中までも人通りが絶えないというのは不思議だと思ったという。

 

【写真:佐々木家建物配置図(致芳史談会編「御本陳(陣)記録」63貢より)】

 ようやく怪盗の登場です。怪盗が潜んでいたのは、内蔵だったのでしょうか。また配置図で注目したいのが右下の明治7年に建てられたという製糸館です。芳文「郷土に光を掲げた人々(第1回)」によれば、第10代宇右衛門(市助)が佐野理八(二本松製糸会社創建・佐野シルク)を招いて改良に乗り出し、動力は水車で44釜の規模であったという。そして明治969日、大久保利通内務卿がこの製糸工場を視察し、佐々木家に宿泊。翌日、宇右衛門、菅原白竜が同行し最上川を下ったという。