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成田村伝説  №3.わさやの怪盗 (4)

  • 成田村伝説  №3.わさやの怪盗 (4)

 古老からこんな言い伝えを聞いたことがあった。昔(それはいつの頃かわからない。)泥棒が佐々木家の倉をねらって破ろうとした。倉のわさやに隠れて人の寝静まるのを待った。それに道端なので人通りが途絶えるのを待たなければならない。なかなか人通りが絶えず、とうとう第一夜は何も仕事は出来ずにしまった。泥棒は次の晩に、今晩こそはと思ったが、その晩もとうとう駄目だった。こうして、とうとう7晩経ってしまって、泥棒も諦めて引き上げることにした。それにしてもこんな田舎で真夜中までも人通りが絶えないというのは不思議だと思ったという。

 

【写真:佐々木家建物配置図(致芳史談会編「御本陳(陣)記録」63貢より)】

 ようやく怪盗の登場です。怪盗が潜んでいたのは、内蔵だったのでしょうか。また配置図で注目したいのが右下の明治7年に建てられたという製糸館です。芳文「郷土に光を掲げた人々(第1回)」によれば、第10代宇右衛門(市助)が佐野理八(二本松製糸会社創建・佐野シルク)を招いて改良に乗り出し、動力は水車で44釜の規模であったという。そして明治969日、大久保利通内務卿がこの製糸工場を視察し、佐々木家に宿泊。翌日、宇右衛門、菅原白竜が同行し最上川を下ったという。

成田村伝説  №3.わさやの怪盗 (2)

  • 成田村伝説  №3.わさやの怪盗 (2)

  昔成田には7軒の金持ちがおった。佐々木宇右衛門、佐々木忠右衛門、佐々木太左衛門、横山仁右衛門、飯澤半右エ門、飯沢半十郎、山口惣右衛門の7軒である。頃は享和(1,801~1,804年)から文化、文政、文久、元治(1,864~1,865年)のあたりまでの5,60年の間である。(ちなみに米沢藩の藩主は第9代上杉治憲(鷹山)が1785年に退位した後の10代治広、11代斉定、12代斉憲の御代にあたる。明治元年(1868年)を間近に控えた頃のことである。)

   古老の話によると、成田の財閥の全盛時代には長井町の商業資本は殆んど成田から出ていたという。小出、宮、成田の財力を瓢箪に例え、瓢箪を横にして頭の小さいところは小出、中のくびれているのは宮、尻の大きいところは成田であるという。

 

 

【写真:「東講商人鑑」(長井市史第二巻近世編 564㌻より)】

写真は安政2年(1855年)に刊行された「東講商人鑑」。長井市の28人の中に、成田の佐々木宇右衛門、忠右衛門、太左衛門、小西屋仁右衛門、そして国主御用茶を製する五十川の平吹市之丞が掲載されている。また右下の略図には成田八幡宮が描かれ、「成田村佐々木卯右衛門の庭前に大木の栗あり 凡六百年余也 廻り三丈余あるべし 今に枯ずして其勢さかんなり」と記されている。佐々木家と栗の木については改めて紹介しましょう。

成田村伝説 №3.わさやの怪盗 (1)

  • 成田村伝説 №3.わさやの怪盗 (1)

   さてさて昔話や伝説には、怖い物語が多いものです。中でも屋根裏とか天井裏を題材にしたものには、今で言う「超ホラー」的な物語があるようです。例えば映画では「屋根裏の殺人鬼」。小説では江戸川乱歩の「屋根裏の散歩者」、折原一の「天井裏の散歩者」。さらに多少エロチックではありますが、漫画「屋根裏の侯爵夫人」などなどであります。さて成田村伝説の第3弾で紹介しますのは、成田村に伝わる「わさやの怪盗」という物語です。「わさや」というのは土蔵の天井裏のことです。さてさて、怪傑ゾロが出るか怪傑エロが出るか、乞うご期待。

 

 今回のお話は、横山文太郎著「成田の歴史」(昭和53年3月 致芳史談会発行)をもとに制作したものです。また№1おせきの物語は、こちらからご覧ください。⇒ http://samidare.jp/orada/note?p=list&c=384393

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