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105歳の独り言 ~ 泉米会の発足に

  • 105歳の独り言 ~ 泉米会の発足に

 ワシも今年で105歳になった。令和4年に盛大に百寿を祝ってもらってから5年も経ってしまった。大正11年の開業記念の日に、村の衆に盛大に祝ってもらった時は、ワシは大正モダンのハイカラ・ボーイだった。

 百年の間に、いろんな人との出会と別れがあった。国鉄帽の似合う駅長さんも、職員もとうの昔に行ってしまった。モミジ広場を造ってくれた「駅前生き生きボランティア」の皆さんも、花いっぱい運動で3度の優秀賞を受賞した「花駅長」も、いなくなった。ちょっぴり寂しくなるけれど、「ひいじいさんがこの駅の駅長だったと聞きました」、「おばあちゃんがこの駅から学校に通ったんだそうです」と訪ねてくれる人もいる。そんな時は、長生きしてよかったなと思うものです。

 1月24日、東京の居酒屋で「泉米会(せんべいかい)」の発会式が行われたそうです。その様子が上の写真です。泉米会の「泉」は広田泉さん、「米」は米屋こうじさんの一文字をつないだもの。広田さんと米屋さんが創ってくれた成田駅との縁に想いを馳せて、その輪を確かめ合おうとするものです。広田泉さんが「元気が出る鉄道写真展2011」を開催してから15年目にあたる今年、「2026展」の開催を計画してくれています。

 こんな年寄りを皆が応援してくれることは本当にありがたいものだ。人の優しさが骨身に染みるとはこういう感情なのかと、この年になって初めてわかったような気がする。そして思うのだ。こんな年寄りでも人様の役に立つことがあるのであれば、ワシがいることで人と人がつながって、互いに幸せを感じ合える時間を持てるなら、もう少し頑張ってみるかなんてね。雪が融けて春が来て、桜の下でみんなに会えるのを楽しみにして・・・・

 

 → 長井線祭りルポ3 駅舎の縁:おらだの会

2026.01.29:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

30周年の新年会

  • 30周年の新年会

 1月11日朝8時半、待合室に会員が集まって来た。「今年もよろしくお願いしま~す」とのあいさつが交わされる。年明け最初の作業は、電飾の撤去作業だ。「やり方を忘れないように写真を撮っておくよ」と言うと、「撮ったことを忘れんなよ」の声。今日の天気予報は「大雪」でしたが、降り始める前に終了。コロナ前は、前夜に地区の伝統行事「ヤハハエロ」が行われていたものだが、などと昔のことを想い出します。

 → ヤハハエロ―!!:おらだの会  2021.01.10 イベント情報

 

 正午からは駅協力会の鈴木会長、山形鉄道(株)の樋口専務にも出席いただいて新年会。これまでは正午の上り列車に乗って、総宮神社でお祓いを受けてから行っていたのですが、今年はその列車が無いため初詣列車は残念ながらお休みとなりました。それでも楽しい懇談の時間を過ごすことができました。(乾杯前の記念写真は超真面目顔)

 

 さて、今年はおらだの会が発足してから30周年となります。そして広田泉さんが改修になった羽前成田駅で写真展をやってくれてから15年目という、とても意義深い年です。駅協力会や山形鉄道さんそして全国の皆さんのご指導とご協力を得て、実りある年にしたいものです。どうぞよろしくお願いします。

 → (32)平成8年 おらだの会発足:おらだの会

 → 広田泉伝[3] 元気が出る鉄道写真展2011:おらだの会

2026.01.14:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

夢を語るひと時

  • 夢を語るひと時

 1月8日、伊藤桃さんが羽前成田駅においでになった。青森の実家に帰られる途中で立ち寄ってくれたものです。伊藤さんの来訪は2022年から今回で7回目にもなるのでしょうか。一昨年の長井線祭りには「一日駅長」になり、昨年末には山形鉄道のクラウドファンディングの応援もしてくれていました。NESポストセブンのインタビューの中で、司会者から「どこの駅が一番良かったですか」との執拗な質問に、「私は渋い木造駅舎が好きなんです。その中でも少し特別な駅があって、山形鉄道フラワー長井線にある『羽前成田駅』なんです。」と答えている記事が載っていました。

→ 「西国分寺から立川…2駅の移動に7時間半」11000kmを“一筆書き”した鉄旅タレント・伊藤桃が語る「過酷すぎるルート」と「撮り鉄」への本音|NEWSポストセブン - Part 2

 

 私たちは伊藤さんを「鉄道アイドル」と呼んでいましたが、ポストセブンでは「鉄旅タレント」と紹介しています。風景も人も気動車の息遣いも含めて、鉄道旅の魅力を伝えることができる人ということでしょうか。伊藤さんが初めて山形鉄道を訪れた時のブログの記事も、伊藤さんが感じた山形鉄道の「旅の魅力」を表現したものだったことに気づきます。それに触発されて、「ローカル線の魅力」を考察してみたものでした。

→ 【#奥羽本線 #山形鉄道フラワー長井線 】#週末パス の旅、2日目。*2枚目:朝靄... | 伊藤桃のオフィシャルブログ『B dreamygirl』Powered by Ameba 20220303

→ ローカル線の魅力を考える1(伊藤桃さん語録から):おらだの会 220312こぼれ話

→ ローカル線の魅力を考える2(伊藤桃さん語録から):おらだの会 220314こぼれ話

→ ローカル線の魅力を考える3(伊藤桃さん語録から):おらだの会 220316こぼれ話

 

 そして昨年末に米屋こうじさんから紹介された「駅のはなし(交通ブックス104)」を読んでのシリーズのまとめが「ローカル駅舎に生まれる(生まれて欲しい)物語」でした。2024年のお花見会に伊藤さんが参加してくれた時のブログに、「桜と駅と、人と人とがつながって物語が綴られていく。伊藤桃さんの長井線全線の「旅物語」を観てみたい」と書いていたことを思い出した。おらだの会発足から30周年となる今年、伊藤さんとのひと時は、それこそ「新たな旅の夢」を語り合う楽しい時間だった。

→ 「駅」のはなし(完) ローカル駅舎に生まれる物語:おらだの会 251231こぼれ話

→ 伊藤桃さんの「旅物語」:おらだの会  240430 イベント情報

2026.01.11:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

「駅」のはなし(完) ローカル駅舎に生まれる物語

  • 「駅」のはなし(完) ローカル駅舎に生まれる物語

 『駅のはなし』に出会ってから、想い出したことがある。2016年5月に行われた「ちゃぶ台写真展」での広田さんの挨拶である。「この写真展を通して、山形鉄道やおらだの会の皆さんとよりしっかりと付き合ってくれる仲間の輪が、少しでも大きくなってくれることを願っています」と。広田さんの意志は、10年の歳月を重ねた今でもしっかりと伝わっている。花見や芋煮会などには、それこそ「また来たよ」と顔を出してくれる関係が続いている。また山鉄応援クラファンにも多額の協力をされたと聞いている。

 → ちゃぶ台写真展の民俗学的考察?!:山形鉄道 おらだの会

 

 日本の原風景とも言われる美しい風景の中に2本のレールが続いている。そんなジオラマの中を心地良い振動と走行音と共に眺めていく。そのゆったりとした時間の中に、自分たちが忘れかけていたものや旅の本質に気づかされることがある。ふと降り立った駅には、地元の人たちが集まっていて、見ず知らずの私をその語らいと酒席の輪の中に誘ってくれるのだった。無縁社会と言われる世相にあって驚くべき事だった、私が探し求めていた「ふる里」が、ここにあった。

 → 停車場憧憬 懐かしき村:山形鉄道 おらだの会

 

 「ローカル線には都会の人を惹きつける魅力があり、地域をまとめる力がある」と教えてくれた人がいた。人口減少の嵐が日本全土を席捲する中で、駅をとおして域外の人とつながり、駅をとおしてこの地に生きることの意味と幸せを確かめてみようではありませんか。写真は米屋こうじさんの作品で「駅を愛する人々」とのキャプションが付けられた作品です。来年もそしてこれからもローカル駅舎に生まれる物語を紡いでいきたいものです。皆さん、どうぞ佳いお年をお迎えください。

 → 木造駅舎『絆』展  駅舎を愛する人々と共に:おらだの会

 

2025.12.31:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

「駅」のはなし(8) 駅舎は絢爛たる爛熟期へ?

  • 「駅」のはなし(8) 駅舎は絢爛たる爛熟期へ?

 戦後復興期には店舗や食堂などを第三者が負担して建設、運営する「民衆駅」が生まれた。昭和48年の国鉄法改正施行によって、国鉄自体が駅舎内での諸施設の運営を行う「駅ビル」が登場。さらに昭和50年代後半からは、地方都市における公民館やギャラリーなどとの合築による「コミュニティーセンター」が生まれている。そうした歴史を踏まえて、『駅のはなし(交通ブックス104)』は、あとがきで次のように締めくくっている。

 昭和62年(1987年)4月、国鉄が解体しJRへと経営が引き継がれていった。鉄道は新たな時代へと突入し「鉄道ルネッサンス」を迎えた。その間駅舎は大きく様変わりしていった。駅舎は出会いや別れといった列車にまつわる古典的な役割の場に加えて、市町村の出張所や集会所、図書館やギャラリーセンター、物産館や温泉を併設するなど、駅舎は地域のコミュニティセンターへと様変わりしつつあり、大都市では多機能の複合施設を備えた駅ビルスタイルへと変貌しつつある。新生JRの誕生は、駅舎黄金時代への幕開けとなった。駅舎は、爛熟期へ向かって、それぞれに声高に個性を主張し始め、試行錯誤の途についたばかりである。10年先か20年先か、駅舎は絢爛たる爛熟期を迎えるであろう。楽しみである。

 フラワー長井線も公民館との合築による改築を行ってきた。それは国鉄時代の駅舎が廃屋に近い状態だったから、公的施設との合築として整備するしか手段がなかったからである。さらに令和3年には長井市役所と長井駅、山形鉄道本社の合築も行っている。それらは存続の危機を脱出するための必死のあがきのようなものである。「駅舎は絢爛たる爛熟期を迎えるであろう」というが、多くの路線が廃線となり、廃駅の危機にあるのが実状であろう。ローカル線の存続意義、駅の意味、そしてここに生きる意味を考える必要があると思うのだが。

【おらだの会】写真は1986年(昭和61年)9月5日の時庭駅。写真帳には「はなはだしい荒れ方であった」と記載されている。1996年(平成8年)に公民館と併設で新設されている。山形鉄道は1988年(昭和63年)10月に開業した。

2025.12.25:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]