生年不明~没年不明
後世の軍記物である「最上記」によると1千石を領したという。最上義光は山形城三の丸の十一口にそれぞれ重臣を配置して防衛を固めた。このうち、山形城北西の下条口に配されたのが伊良子長門守であるという。