中山朝正(なかやまともまさ)

 生年不明~没年不明

 中山朝政の子。父の跡を継いで長崎城主となる。名は光直とも。播磨守あるいは駿河守を称す。のちに最上家親が駿河守に叙任したため、父と同じ玄蕃頭を称した。はじめ大江氏(寒河江氏)に属していたが、大江氏が滅ぶと最上義光に臣従し、そのまま長崎城主7千石に任じられた。義光が庄内地方を勢力下においた際には、尾浦城(鶴岡市大山)の城代として派遣され統治に当たったが、上杉家家臣・本庄繁長の庄内侵攻に敗れ、山形城に撤退した。その後も義光の側近として活躍、慶長出羽合戦の際は、寒河江城あるいは長崎城を守備したという。

2017.09.02:mogapro:[ ◇最上家家臣団(な行)]