寒河江廣俊(さがえひろとし)

 生年不明~慶長十九年(1614)
 寒河江廣秋の子。山野辺城2万7千石を領したと伝わる。肥前守を称す。一説には、中野の安楽寺という寺の小僧だったが、最上義光に見込まれて出世し、寒河江の名字と1万5千石を賜ったという。義光が没した際、その墓前にて殉死した4人のうちのひとり。

2017.08.14:mogapro:[ ◇最上家家臣団(さ行)]