有沢長俊(ありさわながとし)

 生年不明~寛永八年(1631)

 越中土肥氏の家臣。釆女を称す。土肥半左衛門と共に慶長出羽合戦の庄内攻略戦に加わり、最上家に移った。下吉忠の配下として小国城(鶴岡市小国)を預かり650石を領す。最上家親により半左衛門が処断されたことから最上家を離れた。船で紀州に向かう途中、難破して能登に漂着し、加賀藩前田家に仕えることとなった。孫の有沢永貞は甲州流軍学を修め、加賀藩の軍学者となった。

2018.05.14:mogapro:[ ◇最上家家臣団(あ行)]