永禄三年(1560)~慶長十九年(1614)
十兵衛。260石を領す。ある時、主君・最上義光の近習と争いごとを起こし、家老達から切腹を申し渡されてしまう。しかし、義光の温情により切腹を免れ、暇を出されて仙台で暮らすこととなった。その後も義光は元茂を気遣い、金子を送って生活を助けていたという。義光が文禄の役に出陣すると聞くや、そのあとを追いかけ御供を願い出て、帰参を許された。義光が没した際、その墓前にて殉死した4人のうちのひとり。
永禄三年(1560)~慶長十九年(1614)
十兵衛。260石を領す。ある時、主君・最上義光の近習と争いごとを起こし、家老達から切腹を申し渡されてしまう。しかし、義光の温情により切腹を免れ、暇を出されて仙台で暮らすこととなった。その後も義光は元茂を気遣い、金子を送って生活を助けていたという。義光が文禄の役に出陣すると聞くや、そのあとを追いかけ御供を願い出て、帰参を許された。義光が没した際、その墓前にて殉死した4人のうちのひとり。