生年不明~慶長十九年(1614)
越中守。もと上杉憲政の家臣で上州下城主を務めた。兄の和田業繁とともに武田信玄に降伏、武田家滅亡後は北条家、上杉家に仕えた。慶長出羽合戦ののち上杉家を離れて最上家に仕え、2千8百石にて鶴ケ岡城番を務めた。一栗兵部の乱においては、家臣36名を率いて鶴ケ岡城に入り防戦、大手門にて討死した。
生年不明~慶長十九年(1614)
越中守。もと上杉憲政の家臣で上州下城主を務めた。兄の和田業繁とともに武田信玄に降伏、武田家滅亡後は北条家、上杉家に仕えた。慶長出羽合戦ののち上杉家を離れて最上家に仕え、2千8百石にて鶴ケ岡城番を務めた。一栗兵部の乱においては、家臣36名を率いて鶴ケ岡城に入り防戦、大手門にて討死した。