永禄五年(1562)~正保三年(1646)
佐々木貞綱の子。名は愛綱(ちかつな)とも。典膳、越前守を称する。鮭延城(真室川町内町)1万1500石の城主。最上義光に攻められ降伏したが、その後は最上家家臣として活躍した。慶長出羽合戦では、長谷堂城の副将として奮戦し、上杉本陣を脅かすほどの戦果を挙げ、直江兼続に「鮭延が武勇、信玄・謙信にも覚えなし」と言わしめた。