慶長四年(1599)~寛永四年(1627)
最上義光の五男。のち義直(よしなお)。元和二年(1616)に2万1千石にて上山城主となり、上山姓を名乗った。最上家改易により福岡藩黒田家に預けられ、数年後に自害したといわれる。