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雪灯り回廊祭りのこと

  • 雪灯り回廊祭りのこと

 2023年2月4日、長井市の市街地で第20回雪灯り回廊祭りが開催された。この祭りが初めて開催された2000年初頭はデフレ不況に見舞われ、失業率も高い状況が続いていた時期である。長井の町もその例外ではなかった。そんな時に「街を元気にすんべ」という若い人の発案で開催されたのが始まりである。

 

 おらだの会では発足後間もなくからイルミネーションを点灯させていたが、その後、駅前通りで雪灯り回廊祭りを実施していた。当時の宮崎会長が、吉川病院の患者さんを元気づけたいとの思いで、病院の職員と共に作業をやったこともある。宮崎会長の没後、平成29年2月からは実施せずに、その代わりに列車での参拝と新年会を行うようになった。

 

 任意の自主団体が存続していくことはそれだけで大変なものがある。事業ができなくなることは残念なことではあるが、時代の変化の中で事業が変更されることも有りうることである。ただ、「地域を元気にすんべ」「楽しくやんべ」という気持ちだけは持ち続けたいものだ。

 

 

 2013年の雪灯りの様子はこちらからどうぞ

 → ’13 成田駅前雪灯り回廊祭り①:山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)

2023.02.09:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

童心に帰って

  • 童心に帰って

 待合室に絵画が飾られている。題名は「フラワー長井線でたびの出発だ!」。令和4年度山形県子供絵画展で入賞した致芳小学校3年生の作品である。致芳小学校3年生は、今年ふるさと学習に取り組み、羽前成田駅にも来てくれた学年である。そんな生徒の一人が、長井線を描いて入選したことをとてもうれしく思う。

 

 作品には、友達とフラワー号に乗って行く時の心躍る様子が画面いっぱいに広がっている。そういえば昨年の秋、子供たちが連れ立って長井線に乗るのを見る機会が何回かあった。その時の子供たちのはしゃいだ様子は、まったくこの絵そのものだった。たとえ2つ先の長井駅までの小旅行であっても、子供たちの胸に広がるワクワク感や沸き起こる冒険心は旅の醍醐味なのであろう。人口減少による厳しい経営状況が伝えられる中で、この絵は一縷の希望にも思える。

 

 全線開通100周年を前にして地元新聞の「話題の十字路(2月2日付け)」では、「100周年は祝賀だけでなく長井線に向かうきっかけにしなければならない。・・・『試しに乗ってみるか』。そんな思いから『私たちの長井線』としての意識が広がって欲しい。」と呼び掛けている。この絵は、私たち大人が忘れかけていた旅への憧れを思い出させてくれる。今年は、童心に帰って小さな旅を楽しもうか。

 

2023.02.07:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

5日ぶりの列車音

  • 5日ぶりの列車音

 フラワー長井線は先月31日から運休していたが、4日午後、5日ぶりの運行を開始した。あやめ公園駅から羽前成田駅間の踏切に障害が発生したための運休だそうだ。地元紙によれば線路上に列車がいることなどを感知する装置のケーブルの断線が原因だという。ケーブルは耐用年数が40年ほどで、山形鉄道が開業した1988年(昭和63年)以前から使用していたとみられ、経年劣化が原因で断線した可能性があるという。

 

 2018年(平成30年)山形鉄道開業30周年の1月末、約10日間の運休があった。大雪によって除雪作業が間に合わず、除雪車両がダウンしたのに加えて試走車両が雪に乗り上げる事故が発生したものだ。この時の通学に係る混乱は大変なものだったと地元紙は伝えている。

 

 今回の信号機のトラブルによる運休によって、沿線にある南陽高校では200人超の1、2年生のうち100人程度が登校できずにオンライン授業となったとも報道されていた。コロナの経験が生かされたことを喜ぶことはできない。せめて山鉄社員が安心して業務を遂行できる設備基盤が確立されることを祈りたいものだ。

 

 2018年の様子はこちらから

 → 大雪だ、頑張れ山鉄!:山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)

 

 

【おらだの会】写真は小口昭氏「長井線今・昔」より。ラッセル車には工務区の社員4人が乗り込み、雪が多い時は午後10時から翌朝4時半ごろまで作業をするのだという。

2023.02.05:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

伊藤桃さんからのメッセージ

  • 伊藤桃さんからのメッセージ

 1月14日の投稿で、伊藤桃さんが残した駅ノートへのメッセージを紹介した。伊藤桃さんは鉄道アイドルとして多くのファンを持っている方であるが、今回は只見線の取材のために乗った東北新幹線を乗り越し、わざわざ山形鉄道まで来てくれたのである。山形鉄道を再訪した目的の一つは羽前成田駅を再訪するためだという。

 

 「2021年12月に訪れた時に、イルミネーションの飾りつけをしていました。もちろん本職の方々ではないけれど、心を込めて飾りつけをしているその姿、そして色々なお話を聞かせてくださった人のあたたかさに心惹かれて、また行きたいなと思っていたのです。(無人駅だけれど)全く寂しくなくて、そこにはおらだの会の方々を始め、駅をただの通過点ではなくて、大切な居場所だと思う人々の温もりが、どんな寒い日でもあるのでした。」(「伊藤桃さんのブログ」より)

 

 全国の鉄道を訪ね、それぞれの地で多くの人とのふれあいがあっただろう。彼女に「旅をする意味」を尋ねると、「私は頑張っている人を応援したい、力になりたいんです。」との答えが返ってきた。彼女のインスタグラムのリールには「一番行きたい駅はと聞かれれば、ここ(羽前成田駅)と答えます。見て、知ってできたら訪れて欲しい!」と。わずか40数分の時間でしたが、心に残るひと時でした。

 

 

伊藤桃さんの公式ブログはこちらから

→ 【#山形鉄道 #羽前成田駅 】山形鉄道を再訪した目的のひとつは…2枚目:こちら!#木... | 伊藤桃のオフィシャルブログ『B dreamygirl』Powered by Ameba (ameblo.jp)

 

おらだの会の過去のブログはこちらから

→ ローカル線の魅力を考える1(伊藤桃さん語録から):おらだの会 (samidare.jp)

 

2023.02.03:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

100年後に残るもの

  • 100年後に残るもの

 駅前に案内板が設置された。長井市の心のまちづくり基金の助成を得て設置したものである。設計監理を工藤建築研究所の工藤代表、施工をTETTE工房の矢口さんにお願いした。12月11日の記念式典で工藤さんが案内板の設計のコンセプトを説明された。登録有形文化財である成田駅の雰囲気に合ったものとなるように、成田駅の意匠特徴である方杖などのデザインを取り入れたこと。さらに史跡案内等にQRコードを利用したが、致芳小学校児童が制作した「おせきの供養塔」の紙芝居を取り入れたことなどが説明された。

 

 式典終了後、矢口さんから「この看板は100年を迎えられるだろうかと工藤さんと話したんだ。」と教えられた。思えば羽前成田駅の建設に携わった職人たちは、100年後のこの日が来ることを予想したであろうか。また腕木の欠け込みや木戸の一枚彫の意匠が、100年後に驚きをもって眺められることを予想したであろうか。

 

 慰労会の際に工藤さんからは5年をめどに防腐剤を注入することを忘れないで欲しい、と言われた。駅前の看板は、特別に珍しいものではない。けれどもその制作にあたった工藤さんや矢口さんの思いが込められていることは伝えていきたいものだ。

 

 駅舎の方杖はこちらから

→ 車寄せ 方杖&梁の欠き込み:おらだの会 (samidare.jp)

2022.12.20:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]