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龍神の峯

  • 龍神の峯

 ドローンを使って空撮をしている知人が駅茶においでになった。話題が白兎駅の看板設置の事になると、その方は葉山の峰々の姿が最高の宝物だ、と熱く語り始めた。白兎駅からの葉山も良いが、成田駅方面からの葉山が最もイイと言う。そこには深く削り取られた谷が走り、まるで龍神が葉山の峯を駆け上るかのように稜線が伸びているのが見えるのだ、という。後日見せてくれたのが上の写真です。(朱線は当会が挿入。)

 

 地元に伝わる伝説によると、卯の花姫は三淵渓谷から龍神となって野川を下り、はぎ苑の近くの化粧坂で衣服を整え総宮神社に参内するという。もしかすると卯の花姫と幽体分離した龍神は、その後に葉山の稜線を上って奥の院に入り、置賜一円の豊穣の神となったのかもしれない。平泉の金鶏山のように、荘厳な光背に映える葉山の峰々には、そんな物語が隠れているのかもしれない。知人のドローンを駆使した映像を見ながら、そんな妄想を巡らせる機会もやってみたいものだ。

 

 

【おらだの会】知人のドローン映像をご覧になりたい方は、「ユーチューブ 優遊」で検索してみてください。

2021.10.13:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

「さよならSL」から50年

  • 「さよならSL」から50年

 あやめ蕎麦舟越の店主・佐久間さんが昭和47年の「さよならSL」の頃に撮られた写真。松川橋梁を走る59634号である。この写真を見ていると、59634号は今でもどこかの鄙びた町で煙を出して走っているのではないかと思えて来る。

 

 59634号は1921年(大正10年)の製造で今年が100歳。来年は羽前成田駅開業100周年、そして「さよならSL(1972年:昭和47年)」からちょうど50年目にあたる。さよなら列車が紡いでくれた“縁”であろうか。来年は大事な年になりそうだ。

 

 

【写真提供:あやめ蕎麦舟越 佐久間信人さん】

2021.10.01:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

貨物列車の背中

  • 貨物列車の背中

 舟越さんからお借りしたアルバムの中で、この写真が気になった。走りすぎていく貨物列車の写真である。一緒に見ていた知人は、「後追い」という撮り方なのだと教えてくれた。「夕暮れ時にテールライトを灯しながら走り去っていく姿は絵になるんだ。」という。それを聞いて、海援隊の「思えば遠くに来たもんだ」という歌の一節が浮かんで来た。

 

 踏切の側に咲く コスモス揺らして

 貨物列車が走りすぎる そして夕陽に消えてゆく

 

 この写真を見ていると、「まだ頑張るのですか」と声を掛けたいような気持になる。ヘッドライトを点けて突き進む姿も良いが貨物列車にも人生を語る背中がある、と思うのは年をとったせいなのだろうか。

 

 

【写真提供:あやめ蕎麦舟越 佐久間信人さん】

2021.09.27:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

魚箱のプランター

  • 魚箱のプランター
  • 魚箱のプランター

 今行われている「駅舎と96(きゅうろく)展」で、昭和30年から山形鉄道が開業した昭和64年までの駅舎の写真が展示されている。上の写真は1986年(昭和61年)9月に撮影されたものである。大きな駅名板と破損した屋根瓦、そして真新しいサッシ窓が印象的である。

 

 しかしそれ以上に注目して欲しいのが、正面入り口に並べられたプランターである。私たちの先輩達は、発泡スチロールを魚屋などから貰ってきて、ペンキを塗って、花を植えて、堂々と駅の正面に飾ったのである。

 

 今は亡き先輩方が頑張ってくれたから駅舎が残り、おらだの会もあるのだと思う。「『さよなら列車』がつなぐもの」と共に、「『木造駅舎』がつなぐもの」があるのだと、つくづくと感じる。

 

2021.09.11:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

『さよなら列車』がつなぐもの

  • 『さよなら列車』がつなぐもの

 9月3日から「駅舎と96(きゅうろく)展」がスタートした。会場では、「さよならSL」のヘッドマークをつけた59634号と北九州市の九州鉄道記念館に展示されている写真が展示されている。九州の写真を提供してくれたのは北九州市出身の長井市地域おこし協力隊・高橋秀孝さんです。

 

 偶然にも元国鉄職員で59634号も運転していたというSさんが駅茶においでになった。鉄道記念館の写真を見て、「こんなにピカピカにしてもらうのは、お召列車を牽く時ぐらいなもんだ。こんなに大切にされているのを見せてもらって、こっちまで嬉しくなるなぁ。」と、当時の想い出を語ってくれました。

 

 人々の記憶から消えていたものが、歴史のうねりの中で再び浮かび上がって来ることもある。Sさん達が共に汗を流した機関車が、今も九州の地で人々に愛されながら生きている。「ごくろうさんよ」という時、それは故郷を走った機関車と共に、それに関わった全ての人々への感謝の言葉なのかもしれない。

 

 『さよなら列車』は九州と山形を結び、今と昔とを繋いでくれるものだった。

 

 

鉄道記念館の写真の経過はこちらからどうぞ  → 「さよならSL」との再会:おらだの会 (samidare.jp)

 

2021.09.07:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]