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夢を語るひと時

  • 夢を語るひと時

 1月8日、伊藤桃さんが羽前成田駅においでになった。青森の実家に帰られる途中で立ち寄ってくれたものです。伊藤さんの来訪は2022年から今回で7回目にもなるのでしょうか。一昨年の長井線祭りには「一日駅長」になり、昨年末には山形鉄道のクラウドファンディングの応援もしてくれていました。NESポストセブンのインタビューの中で、司会者から「どこの駅が一番良かったですか」との執拗な質問に、「私は渋い木造駅舎が好きなんです。その中でも少し特別な駅があって、山形鉄道フラワー長井線にある『羽前成田駅』なんです。」と答えている記事が載っていました。

→ 「西国分寺から立川…2駅の移動に7時間半」11000kmを“一筆書き”した鉄旅タレント・伊藤桃が語る「過酷すぎるルート」と「撮り鉄」への本音|NEWSポストセブン - Part 2

 

 私たちは伊藤さんを「鉄道アイドル」と呼んでいましたが、ポストセブンでは「鉄旅タレント」と紹介しています。風景も人も気動車の息遣いも含めて、鉄道旅の魅力を伝えることができる人ということでしょうか。伊藤さんが初めて山形鉄道を訪れた時のブログの記事も、伊藤さんが感じた山形鉄道の「旅の魅力」を表現したものだったことに気づきます。それに触発されて、「ローカル線の魅力」を考察してみたものでした。

→ 【#奥羽本線 #山形鉄道フラワー長井線 】#週末パス の旅、2日目。*2枚目:朝靄... | 伊藤桃のオフィシャルブログ『B dreamygirl』Powered by Ameba 20220303

→ ローカル線の魅力を考える1(伊藤桃さん語録から):おらだの会 220312こぼれ話

→ ローカル線の魅力を考える2(伊藤桃さん語録から):おらだの会 220314こぼれ話

→ ローカル線の魅力を考える3(伊藤桃さん語録から):おらだの会 220316こぼれ話

 

 そして昨年末に米屋こうじさんから紹介された「駅のはなし(交通ブックス104)」を読んでのシリーズのまとめが「ローカル駅舎に生まれる(生まれて欲しい)物語」でした。2024年のお花見会に伊藤さんが参加してくれた時のブログに、「桜と駅と、人と人とがつながって物語が綴られていく。伊藤桃さんの長井線全線の「旅物語」を観てみたい」と書いていたことを思い出した。おらだの会発足から30周年となる今年、伊藤さんとのひと時は、それこそ「新たな旅の夢」を語り合う楽しい時間だった。

→ 「駅」のはなし(完) ローカル駅舎に生まれる物語:おらだの会 251231こぼれ話

→ 伊藤桃さんの「旅物語」:おらだの会  240430 イベント情報

2026.01.11:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

「駅」のはなし(完) ローカル駅舎に生まれる物語

  • 「駅」のはなし(完) ローカル駅舎に生まれる物語

 『駅のはなし』に出会ってから、想い出したことがある。2016年5月に行われた「ちゃぶ台写真展」での広田さんの挨拶である。「この写真展を通して、山形鉄道やおらだの会の皆さんとよりしっかりと付き合ってくれる仲間の輪が、少しでも大きくなってくれることを願っています」と。広田さんの意志は、10年の歳月を重ねた今でもしっかりと伝わっている。花見や芋煮会などには、それこそ「また来たよ」と顔を出してくれる関係が続いている。また山鉄応援クラファンにも多額の協力をされたと聞いている。

 → ちゃぶ台写真展の民俗学的考察?!:山形鉄道 おらだの会

 

 日本の原風景とも言われる美しい風景の中に2本のレールが続いている。そんなジオラマの中を心地良い振動と走行音と共に眺めていく。そのゆったりとした時間の中に、自分たちが忘れかけていたものや旅の本質に気づかされることがある。ふと降り立った駅には、地元の人たちが集まっていて、見ず知らずの私をその語らいと酒席の輪の中に誘ってくれるのだった。無縁社会と言われる世相にあって驚くべき事だった、私が探し求めていた「ふる里」が、ここにあった。

 → 停車場憧憬 懐かしき村:山形鉄道 おらだの会

 

 「ローカル線には都会の人を惹きつける魅力があり、地域をまとめる力がある」と教えてくれた人がいた。人口減少の嵐が日本全土を席捲する中で、駅をとおして域外の人とつながり、駅をとおしてこの地に生きることの意味と幸せを確かめてみようではありませんか。写真は米屋こうじさんの作品で「駅を愛する人々」とのキャプションが付けられた作品です。来年もそしてこれからもローカル駅舎に生まれる物語を紡いでいきたいものです。皆さん、どうぞ佳いお年をお迎えください。

 → 木造駅舎『絆』展  駅舎を愛する人々と共に:おらだの会

 

2025.12.31:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

「駅」のはなし(8) 駅舎は絢爛たる爛熟期へ?

  • 「駅」のはなし(8) 駅舎は絢爛たる爛熟期へ?

 戦後復興期には店舗や食堂などを第三者が負担して建設、運営する「民衆駅」が生まれた。昭和48年の国鉄法改正施行によって、国鉄自体が駅舎内での諸施設の運営を行う「駅ビル」が登場。さらに昭和50年代後半からは、地方都市における公民館やギャラリーなどとの合築による「コミュニティーセンター」が生まれている。そうした歴史を踏まえて、『駅のはなし(交通ブックス104)』は、あとがきで次のように締めくくっている。

 昭和62年(1987年)4月、国鉄が解体しJRへと経営が引き継がれていった。鉄道は新たな時代へと突入し「鉄道ルネッサンス」を迎えた。その間駅舎は大きく様変わりしていった。駅舎は出会いや別れといった列車にまつわる古典的な役割の場に加えて、市町村の出張所や集会所、図書館やギャラリーセンター、物産館や温泉を併設するなど、駅舎は地域のコミュニティセンターへと様変わりしつつあり、大都市では多機能の複合施設を備えた駅ビルスタイルへと変貌しつつある。新生JRの誕生は、駅舎黄金時代への幕開けとなった。駅舎は、爛熟期へ向かって、それぞれに声高に個性を主張し始め、試行錯誤の途についたばかりである。10年先か20年先か、駅舎は絢爛たる爛熟期を迎えるであろう。楽しみである。

 フラワー長井線も公民館との合築による改築を行ってきた。それは国鉄時代の駅舎が廃屋に近い状態だったから、公的施設との合築として整備するしか手段がなかったからである。さらに令和3年には長井市役所と長井駅、山形鉄道本社の合築も行っている。それらは存続の危機を脱出するための必死のあがきのようなものである。「駅舎は絢爛たる爛熟期を迎えるであろう」というが、多くの路線が廃線となり、廃駅の危機にあるのが実状であろう。ローカル線の存続意義、駅の意味、そしてここに生きる意味を考える必要があると思うのだが。

【おらだの会】写真は1986年(昭和61年)9月5日の時庭駅。写真帳には「はなはだしい荒れ方であった」と記載されている。1996年(平成8年)に公民館と併設で新設されている。山形鉄道は1988年(昭和63年)10月に開業した。

2025.12.25:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

「駅」のはなし(7) 小停車場標準図

  • 「駅」のはなし(7) 小停車場標準図

 明治も後期になると鉄道網は飛躍的な進展をみせ、大都市や地方の中核的な都市においては豪華なあるいは地域の特徴を表現する駅舎が建設されるようになる。一方、大部分の中小の駅舎については、多数の建築工事に対応するため、木造駅舎の標準形式が数次にわたって提示されたという。

 ・明治31年(1898年) 『普通停車塲本屋及附属建物之図』『停車塲建屋定規』

 ・大正7年(1918年) 『小停車場本屋標準図』

 ・昭和5年 (1930年) 『小停車場本屋標準図』

 上の写真は、昭和5年の標準図の「第3号型」の図面である。残念ながらそれ以前の資料を確認する事ができなかったが、成田駅設計の基と考えられる。その注意書には「特殊ノ理由アルモノ及ビ特殊ノ事理アルモノハ別ニ設計スルモノトス」「建設地ノ状況ニ応ジ些少ノ変更ヲナスコトヲ得」「待合室事務室ノ桁行長サハ必要ニ応ジ適時増減スルモノトス」とある。

 図面はこちらから → 国鉄 木造駅舎の図面  小停車場本屋標準図 

 

 フラワー長井線には西大塚駅(大正3年開業)と羽前成田駅(大正11年開業)の2つの木造駅舎が残っている。両駅ともに標準図をもとに設計されたものであろうが、細部の意匠等の差異は大変興味深いものがある。そこには設計者と職人との意思があり、息遣いが聞こえてくるようにも思える。

 多くの駅舎が改修され、人々のドラマが演じられた駅舎が、もはや写真でしか見ることができなくなっている。そんな中で、100年を超えて当時の姿を残していることは驚くべき奇跡といえるかもしれない。そこには年輪を重ねてきた捨てがたい味と深みがあり、現代人をも郷愁の世界に誘う。「小停車場」に、もう一つのドラマが生まれつつあるのかもしれない。

 → 駅舎探検(成田VS西大塚):おらだの会

2025.12.22:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

「駅」のはなし(6) 長井の文明開化

  • 「駅」のはなし(6) 長井の文明開化

 長井駅周辺が記載されている古い地図が残っている。一枚は大正3年の地図(上の写真)であり、それには「長井ステーション」と付記されている。もう一枚は昭和9年の地図であり、それには「長井停車場」と付記されている。
→ 2015 フィルム講座 大正3年対昭和9年 14:長井市観光ポータルサイト | 水と緑と花のまち ようこそ、やまがた長井の旅へ

 地方には法律用語の変更がやや遅れて浸透してきたということだろうか。けれども、陸蒸気の一声は、地方人にとっても文明開化、新時代の到来を告げるものであった。二つのエッセー文から当時の人々の心情をみてみたい。
//源次はたまげて「まっちゃ早ぐ見ろ、見ろ。もみどが歩いて来たでないがえ」と言うと、側にいた年上の寅次郎が「軍艦が陸さ上がって来たでないべが」と言った。(略)。 「人力車ど汽車なて、俺らんだの乗り物でないべなえ」と源次が情けなさそうに言うど「これはしたり、あんまりせわしいごど語んねで、まっちょまず。うんとかしぇでお前だどご乗せんぞ」とまっちゃが空威張りして見せた。//(寺嶋芳子著「西山のへつり」より)
 → 第12話 汽車がかかったぞ~(長井駅):おらだの会

///ぼくの故郷白鷹町は、昔の名を蚕桑村といった。(略)。この村に鉄道が開通したのは大正十二年である。ぼくは小学校の二年生であった。遠い記憶を辿ってみても、汽車が通るということは、ふるさとの村にとって、ほとんど革命的な出来事であった。遥か遠い物に思われていた「都会」の匂いや、「近代」というまばゆいものが、汽笛のひびきと共に突如として村にやってくるのだ。/// (芳賀秀次郎著「わがうちなる長井線」より)
 → わがうちなる長井線 その1:山形鉄道おらだの会

2025.12.19:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]