HOME > 駅茶こぼれ話

「跨線橋」のはなし その4

  • 「跨線橋」のはなし その4

 2月の三連休に、赤湯駅の跨線橋に上ってみた。赤湯駅の跨線橋からは、ホームの様子がよく見えるのである。列車が来る方向をのぞき込んでいる若者がいる。スマホを眺めている人たちは、自分だけの世界に浸るように、それぞれ別の方角を向いているようだ。スーツをきっちりと着こなしたビジネスマンは、背筋を伸ばして線路に正対している。一緒に旅行に出かけるのであろうか、楽しそうに談笑しているような家族連れがいる。

 

 ホームはまるでミニチュアのドールハウスのようだ。跨線橋というのは様々な景色を見せてくれる演芸館のようである。

2026.02.22:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

 「跨線橋」のはなし その3

  •  「跨線橋」のはなし その3

 さて今泉駅の跨線橋には、その他にも興味深い事がある。今泉駅はフラワー長井線とJR米坂線が交差する駅であるが、異なる路線が起点や終点でなく、それぞれの中間駅で接続しているのである。こうした駅は、県内では他に無いようである。もちろん山形新幹線と奥羽本線を同一路線とみなした場合であるが。

 

 米沢駅も赤湯駅もそれぞれ米坂線、フラワー長井線の始発・終点駅である。奥羽本線と陸羽東・西線が交差する新庄駅も、両線の始発・終点駅となっている。蛇足になるが山形駅は左沢線や仙山線の始発駅のように思われるが、両線の始発・終点駅は正式には北山形駅、羽前千歳駅だという。

 

 今泉駅は宮脇俊三の鉄道小説にも登場し、国鉄時代の看板等が多く残り、また転車台の遺構も残っている。加えて今回は、県内でも珍しい跨線橋を有する駅であることも知ることができた。米屋こうじさんの定点撮影写真をとおして、米坂線と長井線を繋ぐ跨線橋の魅力が広く伝わることを期待し、併せて米坂線の復旧が実現されることを祈りたい。

2026.02.19:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

「跨線橋」のはなし その2

  • 「跨線橋」のはなし その2

 今泉駅の跨線橋の東側を眺めてみると、西側の眺望とは全く雰囲気が違っている。ホームの建屋と点在する住宅が、景観としての魅力を削いでいるようにみえるが、一番の違いは盆地を囲んでいる山並みとの距離感でないかと思われる。

 

 かつて中井精也さんが、フラワー長井線を「里山の風景の中をゆく鉄道の原風景を味わえる貴重な路線」と評していた。また別の写真家が「鉄路と周囲の山並みとの距離が丁度良く、その間を遮るものがないのが良い」と語ってくれたのを思い出す。

 

 悠然とした葉山の山並みに向かって、鉄路が北へと伸びている。その景色を俯瞰しながら眺めることができる。その心地良さが今泉駅跨線橋の魅力のように思われる。もちろん東側の眺望にも面白いものがたくさんあるので、ぜひ探してみて欲しい。

 

 → 第16話 フラワー流“旅”の楽しみ方を (白兎駅):おらだの会

 → 長井線リポート(19)  面白景色の宝石箱 in 今泉:おらだの会

 

 

【おらだの会】写真はMNさん提供(2025年2月撮影)

2026.02.16:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

「跨線橋」のはなし その1

  • 「跨線橋」のはなし その1

 上の写真は2025年2月16日、今泉駅の跨線橋からの写真である。これまで何度か素敵な写真を送ってくれたMNさんの作品である。跨線橋はただの通路でありながら、そこから見える鉄路や周囲の景色に、自分の人生を重ねてしまう不思議な魅力をもった場所のように思える。

 

 階段を上る。一歩ずつ上る。自分を育ててくれた故郷や過去の自分、あるいは平穏な日常を引きずりながら、棄てながら上っていくのである。上り切った後の通路でのひと時。眼下には幾筋かの鉄路が見える。自らの軌跡と重ね合わせながら眺める。その景色は、一瞬だけの「今」なのかもしれない。やがて何処に進むか、決断の時がやって来る。階段を降りるとき、ホームも列車の姿も見えなくなる。この道で良かったのか、との思いが胸をよぎる。立ち止まっては悩み、それでも自分だけのホームへと向かって行くのだ。

 

 米屋こうじさんは、地域おこし協力隊に着任してから、ここを定点撮影場所としている。米屋さんは何故この場所を選んだのだろう。そして写真を提供してくれたMNさんは、何を思ってここを渡ったのだろうか。聞いてみたいものだ。

2026.02.13:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

105歳の独り言 ~ 泉米会の発足に

  • 105歳の独り言 ~ 泉米会の発足に

 ワシも今年で105歳になった。令和4年に盛大に百寿を祝ってもらってから5年も経ってしまった。大正11年の開業記念の日に、村の衆に盛大に祝ってもらった時は、ワシは大正モダンのハイカラ・ボーイだった。

 百年の間に、いろんな人との出会と別れがあった。国鉄帽の似合う駅長さんも、職員もとうの昔に行ってしまった。モミジ広場を造ってくれた「駅前生き生きボランティア」の皆さんも、花いっぱい運動で3度の優秀賞を受賞した「花駅長」も、いなくなった。ちょっぴり寂しくなるけれど、「ひいじいさんがこの駅の駅長だったと聞きました」、「おばあちゃんがこの駅から学校に通ったんだそうです」と訪ねてくれる人もいる。そんな時は、長生きしてよかったなと思うものです。

 1月24日、東京の居酒屋で「泉米会(せんべいかい)」の発会式が行われたそうです。その様子が上の写真です。泉米会の「泉」は広田泉さん、「米」は米屋こうじさんの一文字をつないだもの。広田さんと米屋さんが創ってくれた成田駅との縁に想いを馳せて、その輪を確かめ合おうとするものです。広田泉さんが「元気が出る鉄道写真展2011」を開催してから15年目にあたる今年、「2026展」の開催を計画してくれています。

 こんな年寄りを皆が応援してくれることは本当にありがたいものだ。人の優しさが骨身に染みるとはこういう感情なのかと、この年になって初めてわかったような気がする。そして思うのだ。こんな年寄りでも人様の役に立つことがあるのであれば、ワシがいることで人と人がつながって、互いに幸せを感じ合える時間を持てるなら、もう少し頑張ってみるかなんてね。雪が融けて春が来て、桜の下でみんなに会えるのを楽しみにして・・・・

 

 → 長井線祭りルポ3 駅舎の縁:おらだの会

2026.01.29:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]