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木造駅舎めぐり

  • 木造駅舎めぐり

 長井線祭りの前日にローカル線を考えるシンポジウムが行われた。そのパネラ―として参加された平成筑豊鉄道の河合社長が、成田駅の芋煮会にも来てくれました。同鉄道の湯須原駅(大正元年開業)では、毎月1回イベントを継続することによって、鉄道利用客が増加したそうです。成田駅はおらだの会のメンバーが事業を実施していますが、湯須原駅は会社が主になって実施しているそうです。河合社長は「(木造駅舎は)東の羽前成田、西の湯須原駅と言えるようにしたいですね」と語ってくれました。

 

 ブログ仲間の方から、「旅と鉄道」10月号の特集は「木造駅舎紀行」であって、その1ページ目に羽前成田駅が掲載されていることを教えてもらいました。その雑誌の中に、木造駅舎の魅力について示唆に富む記事たくさんありましたので、次の機会に紹介したいと思います。ちなみに湯須原駅は西大塚駅と共に、「いま訪れたい木造駅舎100選」に選定されていますのでご覧下さい。

  → フラワー長井線まつり - カマ鉄オモシー組合

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 以前、「西大塚駅を木造駅舎の聖地にしたい」という夢を紹介しましたが、全国の木造駅舎を巡る旅、木造駅舎を守る人たちの集いがあっても面白いのではないだろうか。全国とは行かなくとも、羽前成田駅と西大塚駅を巡る旅も奥深いものがあるように思うがどうだろうか。

  → 駅に集う人々(西大塚駅 その1):おらだの会

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2024.10.28:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

駅に集う人々 (羽前成田駅の2 さわぎがごっつおう)

  • 駅に集う人々 (羽前成田駅の2 さわぎがごっつおう)

 今年の芋煮会には宮城県や福島県などの近県在住のお友達、123(泉)の会や米屋さんの撮影グループ、伊藤桃さんのファンなどがおいでになった。参加者の中には旧知の方もおられて、偶然の再会に驚いた様子も見られた。考えてみると鉄道が好きで、写真が好きな人たちである。目的地の遠さは苦にもならないのだろう。そして初対面であっても話しかけるきっかけさえあれば、すぐに親しくなれるようである。

 

 さて米屋さんが当駅を撮影旅行の場所に選んだのは、地方での撮影の際に大切なことを感じて欲しいとの意図があったように思われる。そして参加された皆さんは、「駅の中で宴会ができるなんて」「芋煮会のおいしさに感動した」「温かく迎えてくれて嬉しかった」「また来ます」との言葉を残して帰って行った。これを聞いてちょっとホッとした。

 

 自分たちが小さい頃は、正月やお盆、神社のお祭りなどに叔父さんや叔母さん、従弟たちがたくさん集まったものだ。その時、おばあさんが「何にもないなだ。さわぎがごっつおうだごで=たいしたものはないけれど、こうやってあわただしく動いて迎えているのが御馳走だと思ってちょうだい。」と言ったことを思い出す。さわぎがごっつおう。こんな気持ちを大切にしながら交流の輪を広め、深めて行きたいと思う。

2024.10.26:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

駅に集う人々 (羽前成田駅の1 ここから始まる)

  • 駅に集う人々 (羽前成田駅の1 ここから始まる)

 2024年長井線祭り、成田駅に突然現れた六文銭の武将Aさん。Aさんは長野県上田市からおいでになった方で、本当はかなりお堅いお仕事をなさっている方です。2011年に米屋さんが西大塚駅で開催したチャリティー写真展、そして広田泉さんが羽前成田駅で行った「元気が出る写真展」にも来てくれた方です。今回、子供たちにプレゼントするオモチャや地酒をたくさん持って来てくれました。前夜祭の時Aさんは、123の帽子を載せた一升瓶の前で「この様子を見て、広田さんはきっと喜んでいてくれているだろうな。」と話してくれました。

 → 停車場ノート28 「広田泉の会写真展」続行中:山形鉄道 おらだの会

 

 芋煮会当日に列車で来てくれたUさん。Uさんは昨年のお花見会(広田さんを偲ぶ会)においでになり、今年6月には福島の広田泉さんの墓参後に「泉の桜」を見に来てくれた方です。Uさんと広田泉さんとの出会いは広田泉さんの写真集「ここから始まる」だったそうです。息子に与えたこの本の感想文に感動した担任の先生が、その本をクラス全員で学習することになりました。そのことを広田さんに伝えた時、広田さんは涙を流しながらUさんの手を固く握ってくれたそうです。Uさんは、その時の広田さんの熱い手の感触が忘れられない。来春までに広田さんの物語を書きあげて、泉の桜に集う人たちに読んでもらいたい、と語ってくれました。

 → 「泉の桜」に会いに来ました:おらだの会

 

 「線路を繋げ、人を繋げてニッポンを繋げたい。本気でそう考えています」。広田さんが2011年の「元気が出る鉄道写真展」に寄せたメッセージです。駅に集う人々、羽前成田駅もここから始まります。

 


【おらだの会】今年度の駅茶での展示事業は、長井線祭りをもって一旦終了とさせていただきます。なお見学の希望などがございましたら、「問合せフォーム」からご連絡下さい。皆様のご支援とご協力に会員一同心から感謝申し上げます。

 

2024.10.24:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

祝 長井市制施行70周年

  • 祝 長井市制施行70周年

 令和6年10月14日、長井市制施行70周年記念式典並びに祝賀会が開催されました。市内外はもとよりドイツや中国、タンザニア連合共和国などからもたくさんのお客様がおいでになり盛大な式典となりました。

 

 1町5か村が合併して長井市が誕生したのは、1954年(昭和29年)11月15日。この日は国鉄長井線にディーゼル車が登場した日でした。客車を牽引していた蒸気機関車は、新市誕生の祝賀ムードの中で、ひっそりと表舞台から姿を消したのでした。

 → 長井線を走った蒸気機関車(4) 最後の旅客牽引車86型:おらだの会 (samidare.jp)

 

 歴史の中では、生まれるものと消えていくものがあります。だからこそ折々に歴史を振り返り、将来を思うことは大切なことなのだろう。長井線も今年はディーゼル列車登場70周年、長井駅開業110周年である。10月20日の長井線祭りはたくさんのお客様で賑わって欲しい。そして私たちも駅に集い、列車に手を振って、将来に何を伝え、何を創っていけばよいかを考える機会にして欲しいと思う。

 祝 ディーゼル列車登場70周年、長井駅開業110周年!

2024.10.15:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

あの日あの時へ (その4完:風景の記憶)

  • あの日あの時へ (その4完:風景の記憶)
  • あの日あの時へ (その4完:風景の記憶)

 写真展においでになった方に、「どの作品がお好きですか?」と訊ねることがある。地元の小学校に通う姉妹が駅茶に来た時にも同じ質問をしてみた。その時小学3年生だという妹さんが選んだのが、上の2枚でした。左は「霞城の桜(仙山線快速 山形~北山形)」、右は「夏の午後(奥羽本線蔵王~山形)」という作品です。山や桜といった当たり前にある景色が入った作品でした。

 

 この作品に「いいね」とされた方はいなかったので大変驚きました。彼女は何故、この作品を選んだのだろうか。その他の作品が8歳の子にはなじみがない被写体であったからだろうか。地元の山や景色ではないにしても、親近感を感じるものがあったのかもしれない、などと勝手な推測が浮かんでは消えました。

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 今回の写真展は、鉄道や駅舎への郷愁の原点を考えてみたいと企画したものです。その流れで考えれば、故郷の風景と共に有る鉄道の姿、変わらぬ風景の中で走り続ける列車の姿が、それぞれの大切な記憶として堆積しているのではないだろうか。8歳の少女に大事なことを教えられたような気がします。

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 「あの日、あの時へ」展は、来週で終了します。カメラを手にした18歳の少年がとらえた鉄道情景をあなたの目で鑑賞してください。そしてあなた自身の「あの日、あの時」を探してみて欲しいと思います。開場日程を前回の記事でご確認のうえご来場ください。

2024.10.13:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]