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鮭延左衛門尉(さけのべさえもんのじょう)

 天正十四年(1586)~慶長十七年(1612) 鮭延秀綱の嫡男。名は左右衛門(さえもん)とも。慶長出羽合戦(長谷堂の戦い)にて初陣を飾る。奥羽永慶軍記には、この戦いでの上杉軍本陣に迫る勇猛な活躍ぶりが記されている。一方、鮭延越前守聞書には、敵陣に深入りして散々に攻められ、父・秀綱が助けに入って、一緒になった退いたとある。のちに家督を継ぐことなく、若くして亡くなった。
2017.04.30:mogapro:[ ◇最上家家臣団(さ行)]

鮭延秀綱(さけのべひでつな)

 永禄五年(1562)~正保三年(1646) 佐々木貞綱の子。名は愛綱(ちかつな)とも。典膳、越前守を称する。鮭延城(真室川町内町)1万1500石の城主。最上義光に攻められ降伏したが、その後は最上家家臣として活躍した。慶長出羽合戦では、長谷堂城の副将として奮戦し、上杉本陣を脅かすほどの戦果を挙げ、直江兼続に「鮭延が武勇、信玄・謙信にも覚えなし」と言わしめた。
2017.04.29:mogapro:[ ☆最上四天王 ]

大風右衛門(おおかぜうえもん)

 生年不明~没年不明 最上義光から長谷堂城に援軍として派遣され、上杉軍の包囲を破って入城に成功する。横尾勘解由らとともに春日元忠の陣に夜襲を仕掛け、上杉勢が同士討ちを起こすほどの大混乱に陥れた。
2017.04.28:mogapro:[ ◇最上家家臣団(あ行)]

横尾勘解由(よこおかげゆ)

 生年不明~没年不明 志村光安の家老。光安の娘婿といわれている。慶長出羽合戦では、大風右衛門らとともに上杉軍に夜襲をかけ、春日元忠の陣を大混乱に陥れた。最上家改易により横尾家は東根にて帰農し、代々郡中総代名主を務めた。
2017.04.27:mogapro:[ ◇最上家家臣団(や行)]

進藤安清(しんどうやすきよ)

 生年不明~慶長十九年(1614) 亀ケ崎城主志村家の家老。但馬守。進藤楯(酒田市中野俣)の楯主。庄内川北地域の検地を担当するなど、庄内支配の実務を担当した。最上家親の家督相続に反対した一栗兵部高春に、鶴ケ岡城下の新関因幡守邸にて襲撃され、主君・志村光惟とともに命を落とした。
2017.04.23:mogapro:[ ◇最上家家臣団(さ行)]

志村光惟(しむらあきただ)

 生年不明~慶長十九年(1614) 志村光安の子。父の死後に家督を継ぎ、亀ケ崎城主となる。最上義光の逝去後、最上家親の家督相続に反対した一栗兵部高春に、鶴ケ岡城下の新関因幡守邸にて襲撃され命を落とした。
2017.04.21:mogapro:[ ◇最上家家臣団(さ行)]

志村光安(しむらあきやす)

 生年不明~慶長十六年(1611) 最上義光の重臣。名は高治(たかはる)とも。伊豆守。弁舌の才があり「口才人をくじき、いかなる強敵といえども彼に逢いてはすなわち降りぬ」といわれた最上家の知将。慶長出羽合戦の際には長谷堂城を守備した。直江兼続率いる上杉軍2万に対し篭城戦を展開。ついに守りきり上杉軍を撤退に追い込んだ。続いて、谷地城に取り残された上杉方の将・下吉忠のもとへ交渉に赴いて、これを降伏させると、庄内攻略戦にも加わり、戦後は酒田東禅寺(亀ケ崎)城主として3万石を領した。
2017.04.18:mogapro:[ ☆最上四天王 ]

野辺沢康満(のべさわやすみつ)

 天正十年(1582)~寛永三年(1626) 野辺沢満延の子。のち光昌(あきまさ)。遠江守。最上義光の長女松尾姫を娶った。父の死後に家督を継ぎ野辺沢城2万石の城主となる。慶長出羽合戦では、長谷堂城救援のため出陣、続いて上杉領であった庄内地方を攻略した。慶長十九年(1614)には、義光の跡を継いだ最上家親の命により、義光三男清水光氏の居城である清水城を攻め落とした。最上家改易後は熊本藩加藤家に預けられた。
2017.04.17:mogapro:[ ◇最上家家臣団(な行)]