川俣貞次(かわまたさだつぐ)

 生年不明~没年不明

 主膳正を称す。武蔵国川俣城の城主であったが、天正十一年(1583)家臣の裏切りにより川俣城が落城、姻戚を頼って最上家に仕えた。慶長出羽合戦後は、庄内尾浦城主・下次右衛門の奉行として尾浦に居住した。千三百石を賜っていたという。最上家改易後は庄内藩酒井家に仕えた。

2019.01.10:mogapro:[ ◇最上家家臣団(か行)]