幕末の儒学者・塩屋宕陰(しおのやとういん)が、当時の山形藩主・水野忠精(みずのただきよ)に従って山形に滞在した際、詠んだ漢詩の中で最上義光のことを「虎将」と讃えたことによる。
これは、義光の官職名・左近衛少将(さこのえごんしょうしょう)の唐名である虎賁中郎将(こほんちゅうろうしょう)にちなむものと思われる。義光の異名のうち最も古いものといわれている。
参考:最上義光歴史館 http://mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=31958
幕末の儒学者・塩屋宕陰(しおのやとういん)が、当時の山形藩主・水野忠精(みずのただきよ)に従って山形に滞在した際、詠んだ漢詩の中で最上義光のことを「虎将」と讃えたことによる。
これは、義光の官職名・左近衛少将(さこのえごんしょうしょう)の唐名である虎賁中郎将(こほんちゅうろうしょう)にちなむものと思われる。義光の異名のうち最も古いものといわれている。
参考:最上義光歴史館 http://mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=31958