池田盛周(いけだもりちか)

 生年不明~没年不明

 出羽池田家16代当主。朝日山城(酒田市生石)城主。讃岐守を称す。はじめ大宝寺氏に仕える。のちに最上方に転じ、十五里ヶ原の戦いでは、本庄繁長率いる上杉・大宝寺連合軍と戦い、朝日山城に籠って抵抗するも降伏、所領を安堵された。天正十八年(1590)に出羽庄内で検地が行われると、これに反対した地侍らの一揆に加勢したが、鎮圧軍に敗れて鮭延城主・鮭延秀綱を頼って落ち延びた。この時、自らを天下に逆らった悪人であるとして悪次郎と名乗ったという。慶長出羽合戦では、再び朝日山城に籠って上杉方と戦い、庄内地方が最上家の領地となると旧領荒瀬郷の内古川村を賜った。

2018.06.18:mogapro:[ ◇最上家家臣団(あ行)]