天文十五年(1546)~天正十六年(1588)
東禅寺氏永の弟。右馬頭を称す。兄・氏永とともに大宝寺義興を討ち、尾浦城主を務めたという。十五里ヶ原の戦いに出陣するが、本庄繁長率いる上杉軍に敗北。氏永の戦死を知るや、一矢報いんとして繁長の本陣に潜入。繁長に斬りかかったが、兜を傷つけるに留まり、その場で斬殺された。この時、勝正が手にしていた正宗の名刀は、のちに「本庄正宗」と呼ばれた。
天文十五年(1546)~天正十六年(1588)
東禅寺氏永の弟。右馬頭を称す。兄・氏永とともに大宝寺義興を討ち、尾浦城主を務めたという。十五里ヶ原の戦いに出陣するが、本庄繁長率いる上杉軍に敗北。氏永の戦死を知るや、一矢報いんとして繁長の本陣に潜入。繁長に斬りかかったが、兜を傷つけるに留まり、その場で斬殺された。この時、勝正が手にしていた正宗の名刀は、のちに「本庄正宗」と呼ばれた。