弘治二年(1556)~寛永十六年(1639)
楯岡城主。豊前守。文禄四年(1595)雄勝郡に出陣し、湯沢城(湯沢市古館山)を攻め落とした。そのまま城主となり、湯沢氏を称した。慶長出羽合戦のときは、小野寺氏に対する守備を担当した。のちに由利郡に移り、本城城(由利本荘市尾崎)を築城、本城氏を称して、最上家中で最高の4万5千石を領した。