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最上義光の功績
最上川中流域である最上郡と村山郡を統一し、関ヶ原の戦い後は庄内三郡と由利郡を加増され、57万石の大大名となる。奥羽地方で最大、東日本においても江戸城に次ぐ広さを誇るといわれる山形城とその城下町の整備、最上川三難所の開削、湊町酒田の整備、庄内平野の灌漑事業などを行い、現代につながる山形の繁栄の基礎を築いた。▼農業分野における功績 庄内平野の灌漑事業として北楯大堰や因幡堰などの開削を命じた。それまで広大な原野が広がっていた地域での稲作が可能となり、庄内平野を日本有数の米どころへと導いた。また、のちに最上地域の特産品となる紅花の栽培を奨励した。▼商業・流通分野における功績 山形城下に二日町から十日町までの商人町(市日町)を整備した。最上川三難所を開削して舟運による大量物資輸送を可能にした。物流の拠点として湊町酒田や大石田河岸を発展させ、米券法を制定して米穀の管理と流通の促進を図った。▼工業分野における功績 山形城下に檜物町、塗師町、桶町、銀町、蝋燭町、材木町などの職人町を整備した。徳川家康に賞賛された最上蝋燭が特産品となったほか、山形鋳物や山形仏壇などの伝統的工芸品の発展を促した。▼観光分 ...続きを見る
2015.02.01:mogapro:[ □最上義光の功績]