FPのひとりごと

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最近の若者は(←もうこの言い方がThe昭和)物欲がない



ないわけじゃあないんだろうけど 薄〜いような気がする



昭和おやぢが若かった頃は『車 嫁 家』ときたもんだが



(嫁さんは物ではありません 当たり前ですが m(__)m)



そのどれもが若い人には人気薄になってる気がする



オイラは還暦過ぎても昭和BEST3はまだ羨望の的だ



家?あるじゃん! あるけどハワイに別荘がほしい



いやいや可能性はゼロに近いけど いいじゃん夢くらい



嫁?いるじゃん! いやそうだけど…



(大人の事情があり これ以上は突っ込まんように)



車! あまり欲しがらないんだってねえ 若い人



なんでなんだろう?



いやーー まだまだ欲しいっすよ イイ車



我が家の銀行預金の残高が二桁違っていたら



マイバッハとかGクラスとかを大人買いしたいものだ



しかし



欲しいものはこれだけではない



っつーか欲しいものだらけだ 今でも



やっぱ物のない時代に育ったからなんだろうか



勿論個別の経済事情もあるが 昔は周りも押しなべて貧乏だった



真空管式のラジオが欲しい!



真空管 ラジオ … ノスタルジーの世界やん



なんで?



5球スーパーが最新式(=羨望の的)だったころ



手に入らなかったからだ



いや正確に言うと小5のとき 自作した



なんかその手の愛好会みたいなのに入っていて



そこで斡旋指導してくれて 自分で組み立てて配線して完成させた



短波も受信できるなかなかの逸品であった



それをなぜか親父にやってしまった



持っていけないという単純な事情もあったが



その世界に薫陶を授けてくれた親父への感謝でもあった



がしかし 物を異常に大事にする親父が



それをどっかにやってしまった(←いわゆる老害のせい) 



それ以来 欲しいのだ なんとしても そんなものが



トランシーバー 大型ステレオ イーハトーブ(バイク)



潜望鏡(こらっ!そっちじゃないって) 天体望遠鏡



BCL受信機 Uコン ラジコンヘリ … 



どうみても 今の世に不要な物ばっかりだ



でも欲しいのだ



欲望が満たされずに 心が乾いているのだ いまだに



乾いた心に水をやらにゃあならんのだ



ええ年こいて 物欲が収まらないのもどうかとは思うけど



この年になってもまだ目標があるということでもある



物は考えようだ
スピーカーの箱として
私が最終的に選んだのは 机の引出しでした
苦渋の選択と言うか これしかなかったというか・・
親に見つからないよう 机に布をかぶせて偽装工作
ステレオへの道は かように遠く困難なものでした

引出しの底部に糸鋸で丸く穴を開け
フルレンジスピーカーをビス止めし
古い座布団を失敬し 中の綿を遮音材として詰め
結線して ベニヤ板で蓋をしました
いま考えれば なんとちゃちースピーカー
でも
とにかく なんとか“スピーカーのようなもの”が
たいへんな労苦とともに 完成したのでした
レシーバーを買ってから 既に3ヶ月が経過していました
ステレオサウンドに対する渇望は もう沸点に達していました

いよいよ竣工式です!!
レシーバーの電源をONにし
FMのチューニングをNHK・FMに合わせ
ボリュームを一気に中段までアップ

二つのスピーカーから
荘厳なクラシックが流れてきたんです!

ああ〜 音が 音が 広がってる!
これが これが これが  ス テ レ オ !!
あまりの感動に 血沸き肉踊りました
左のスピーカーから管楽器の音がして
右のスピーカーから弦楽器の音がしたときには
目からうろこどころか 目そのものが落ちそうになりました
一生忘れられない感動的なシーンでした

変な言い方ですが・・
この時代には 今の時代にない
“ものがない”という幸せがありました
なんでも金さえあれば手に入る時代では
決して味わえない 物に対する感動がありました
いまから見れば ほんのつまらないものでも
苦労して苦労して手に入れたものには
このうえない愛着があり 大事に大事にしました

もしかして いい時代を生きてきたのかなー
そんな思いをする 今日この頃です

                 (つづく)



『手先が器用?』
って訊かれると 答えに窮します

細かい作業は どちらかと言えば得意な方で
彫刻とか造形とかでは 表彰されたこともある
でも いわゆる技術工作系を苦手としていて
授業で作ったブリキのちり取りと木製の椅子は
実用にも美的観点にも大いに問題があった

その私が スピーカーを自作しようという・・
当時 ステレオはサイズが大きいほど
高価で ありがたがられる傾向にありました
特に スピーカーは サイズもパワーもドデカイのが
オーディオファンの羨望の的でもありました

さて 自分で実際にこさえる段になって
費用と器用 二つの難問にぶち当たってしまいました
元々金がないから自作するんで
部品としての高価なスピーカーや木材や遮音材を
そろえられるわけがありません
スピーカーは 普通 高・中・低音用に
三種類 セパレートされてくっついていましたが
そんなことが 許されるはずもありません
フルレンジというオールインワンの安いのにしました
箱をどうしよう? とことん悩みました
あーだこーだのあげくに 結局“不器用”の壁にぶち当たり
妥協の産物として ある物を本来の目的から逸脱して
というより“バチアタリ”なことをして“転用”しました

私の勉強机から 引出しが2段ほど消失したのでありました

                   (つづく)
私のステレオへの第一歩は
“レシーバー”からでした
レシーバーなんてご存知ないでしょうねー

当時 標準的なオーディオセット(ステレオ)は
プレーヤー/アンプ/チューナー/カセットデッキ/スピーカー
この5点セットだったと思います
中学→高校時代の私に この5点をそろえることなど
世界を征服する以上に困難なことでした

一番手軽に ステレオ(サウンド)に触れられる方法を
一生懸命考えて出した結論が“レシーバー”でした
レシーバーというのは チューナーとアンプが合体したものです
チューナーでFM等のラジオ番組ををエアチェックし
アンプで音源をパワーアップ・コントロールする装置でした
夏休みに土方(土木作業員)のアルバイトで稼いだ金を
全部注ぎ込んで 手に入れた“宝物”でした    が
レシーバー(=チューナー+アンプ)だけでは音が出ません
ヘッドフォンを買えばいいんでしょうが・・・
既に財源は枯渇していたし 高価な物でもあり手が出ません

せっかく ”ステレオの一部”を手に入れたのに
眺めているだけで 本来の機能を楽しむことはできませんでした
そこで またまた考え出したんです “あること”を

スピーカーの自作 でした・・・・

                       (つづく)
横道から わき道にそれて
さらに ここで 一服と・・・・

FMとの出会いも感動ものでした
当時 ラジオといえばAM放送で
昼間は NHK第一・第二とYBCだけ
夜になると 関東キー局も入ってきますが
なんせ 遠距離ゆえ“音が揺れます”
好調なときは いいんだけど
不調なときは 何を言ってんだかわかりません
で そういうときに限って中国語や韓国語が
ここぞとばかり でしゃばってきます
聞き続ける気力と忍耐力は涙なくしては語れません

そんなとき FMも入るラジオを手に入れました
とにかく 聞いてビックリ!!
雑音が一切ありません なんじゃこりゃー!
あの気力と忍耐力は一体なんだったんだろう
そう思わずにはいられませんでした
当時 受信できたのは NHK・FMだけでした
ところが まあ これが かたいんだ 中身が
さすが 公共放送 くだけたとこがまったくない
音楽は もちろんクラシック中心
定時に きっちりニュースが 入ってきます
で たまーにクラシック以外の番組が入りますが
ここもさすがNHK! すべてが平等・公平です
こっちが聞きたいのは ポピュラーなのに
ジャズ シャンソン 映画音楽・・ここらまではまだいいとして
演歌 歌謡曲 浪曲 民謡 小唄・長唄 ラテンにカンツォーネまで
いやー まいった まいった なんでもありです
いまみたいに 自分の聞きたい局をすぐダウンロードなんて
夢の夢のさらにまた夢のようなできごとでした

そんな中でも 唯一ポピュラー中心で聞けたのが
ローカル局オリジナルの“夕べのひと時”でした
pm6:00からのリクエスト中心の番組でした
(いまも やってんのかなー・・)
1曲だけMYリクエストをかけてもらったことがあります
忘れもしない ロバータ・フラックの『やさしく歌って』
当時 このレコードを私はなぜか持っていました が
プレーヤーというかステレオが ありませんでした 我が家には
レコードがあるのに リクエストして エアチェックして
それを録音して その曲を聞く アンシンジラブル!!
地元出身DJの山形以外では通じない共通語とともに
これまた 忘れられない番組でありました

                       (つづく)   

 

ラジオの記憶が蘇ったところで・・
横道から さらに わき道にそれて と

ラジオの深夜放送にも
いろんな思い入れが詰まっています
いま 思い出すだけでも・・・

『バイタリス・フォークビレッジ』
中学生には衝撃的な番組でしたねー
時は フォークソング全盛時代・・
吉田拓郎がDJで 自分の言葉で 言いたい放題の中に
時代の変化と革新を 中学生なりに感じていました
バイタリスといえば チャールズ・ブロンソンの
男くさ〜い 『Nnn マンダム!』が忘れられない

『日立 サウンド イン ハイフォニック』
これ 知るひとぞ知る でしょうねー
ゆっくりとして渋いタイトルコールから始まるこの番組
イージーリスニング中心の選曲でしたが
なんともいえぬ いい雰囲気の忘れえぬ番組です
『パディスコ』というブランド名も忘れられません

『ジェットストリーム』
FM東京(東京FMではなんか違和感がある)が
ちゃんと聞けるようになるのは社会人以降ですから
時代は だいぶはなれてますが・・
これも城達也さんの都会的で雰囲気のあるDJと
JALの持つ華やかさがいい感じで融合して
夜の“MY定番”だった番組です
残業明けの車の中で“癒し”の時間を過ごしたものです
残念ながら 伊武雅刀ではちょっとちがう・・

『あおい君と佐藤君』
これ同世代でも知らん人が多いんでしょうねー
アイドルだった“あおい輝彦”とケメこと“佐藤公彦”の
W男性パーソナリティーという珍しい形態のトーク番組でした
正直 “あおい君”(水戸黄門の助さん)の方はどうでもよく
“佐藤君”=ケメ が好きでよく聞いていました
本(脚本)はあったんでしょうが妙に息の合う二人でした
当時いろいろと過激な深夜放送が多かった中で
一種のオアシスみたいな時間帯でした

                     (つづく)