FPのひとりごと

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こないだアップした水越けいこの『海と少年』



懐かしくなって YouTubeでアルバムごと☑した



終盤に『Feeling Blue』という曲が出てきた



久々に聴いたのだが 年甲斐もなくキュンとしてもうた




    💚   💛   💛   💛   💛




  あなたには もう一人 恋人がいるのね


  セクシィーな彼女の写真 私みてしまった


  そのことを隠さないあなたってずるいわ


  切なさで私の心繋ぎとめてしまう


  Feeling Blue  Feeling Blue


  そんな風に抱きしめないで


  Feeling Blue  Feeling Blue


  彼女のもとへ帰らないで




まあ要するに 二股された女性の悲哀を歌った曲だが



男はと言えば 女心を弄ぶプレーボーイもどき



下衆の極みだ



   💔   💔   💔   💔   💔



当時付き合っていた彼女は大手家電店のレコードコーナーにいた



学生だったボクはアルバムをカセットにダビングしてもらっていた



喫茶店で受渡しの時 オレは『海と少年』が好きだと言ったら



彼女は『Feeling Blue』が好きだと言った



数日後にその意味をっ知った




                   続く かも… 気分次第

佐々木さんという東京五輪の演出家が辞任した



女性タレントを侮辱したんだという



原因は『オリンピッグ』と『ピッグ』をかけちゃったこと



まあオヤジギャグだな こりゃ



彼女の体形を揶揄したとか言われてるようだが



確かに若い女性にピッグはなかろうと思う



普通なら侮辱と言われてもしかたない



でも彼女はそのビジュアルに自信を持っているようだし



そのキャラを客観視して武器にしているように思われる



でもやっぱピッグはないか



    🐽   🐽   🐽   🐽   🐽



ただその出所がグループ内のラインだという



って 内輪で打ち合わせ(!)をしてるということでしょ



そこでこんなのもあるけどどう?って言ったものが表に出ちゃったわけで



言った方は アイデアの一つとして出しただけなんだから



その場でボツにして終わりでいいんじゃなかろうか



不適切という指摘もその場で完結することのように思われる



そこってオフィシャルな場でないんだからね




   📱   📱   📱   📱   📱





どーも最近建前が錦の御旗になってるような気がしてならない



勿論 建前を通すべきシチュエーションはあるし



やせ我慢をしてでも本音を封印しなきゃならん時もある



でもあまりに建前がまかり通りすぎると息苦しくなってくる



人間だれしもが聖人君子ではない



表もあれば裏もある



その辺をちょっと自分に問いかけながらの判断って大事だと思うけどなあ




   👤   👤   👤   👤   👤




子供を正論で叱った後 その矢が自分に刺さるってこと



オレ何回もあったなあ 恥ずかしながら… 



『少年と海』という名の曲は山ほどあるが



水越けいこのが一番好きだ(っちゅうか他のはよく知らんし)



マイナーもマイナーなので YouTubeで探るのも一苦労



学生のときに気に入って レコード屋の彼女にダビングしてもらった



十数局ある中で この曲が一番好きだった



大向こう受けは絶対しない曲だが ボクにはササった



砂浜で海を眺めている少年の思いを綴った曲だ




    少年の思いは 指を伝って



    遠く遠く 海に沈む



    少年がうなづく 海の声を



    聞いた気がして 耳を澄ませている



    外国船の汽笛ボーッボーッと鳴いて



    それでも海は



    いつも笑っていたんだろうね



    少年の言葉は 砂に消えた




まあ凡庸な歌詞で これだけ読んでも伝わらないと思うが



一人で海に行ってこの歌を口ずさむといろんな感情が降りてきた



少年はだめだよ 反則だよ



って しかも海って…



ボクがこの世で一番弱いもの



それは少年の涙



いつもは泣かない少年が 堪えに堪えた末に ぽろっとこぼした涙



もう切なさはMAXで その肩を抱きしめてあげたくなる




   💎   💎   💎   💎   💎




マブダチのソータとヨースケ



コロナでなかなか会えないが



オッチャン一杯お菓子買って待ってるから



また一緒にキメツ見ようね(*´▽`*)

しかし困ったもんである



アラ高齢者となった今でも おふくろの味が忘れられない



っていうか おふくろの味から抜け出すことができない



まあこれもしょうがない



ファストフードなどない時代に生きてきたから



3食×365日‐給食=おふくろの味 となるわけで



他の味を知らないんだもの



   🍱   🍱   🍱   🍱   🍱



基本は田舎料理で洒落たものが食卓に上ることはなかった



メインは煮物だった



そのメインをここ20年以上食べたことがなかった



おふくろの味に飢えていた 🐺🐅



   🍲   🍲   🍲   🍲   🍲



最近 家事支援サービスが使えるようになった(人''▽`)



訪問ヘルパーさんに家事を手伝ってもらえる制度だ



早速念願の煮物を作ってもらった\(^o^)/



肉豆腐 鰤大根 肉じゃがときて ぜんまいの煮物となった



おふくろの十八番だ



一口食べた



いろんな思いが交錯した



思いが溢れて涙も溢れた(👎オッサンなにしとんねん)




   😢   😢   😢   😢   😢




主婦の皆さまに畏敬の念を抱く今日この頃です

最近テイラー・スウィフトにどハマりしている



毎日YouTubeで☑&☑だ



ブルーノ・マーズ⇒VICTORIA'S SECRET⇒テイラー という流れだが



ブルーノ自体が流れ弾だから テイラーに辿り着いたのは奇跡と言える



これもYouTubeの醍醐味



   👸   👸   👸   👸   👸



1989ワールドツアー・シドニーの動画がアップされているが



これが秀逸だ 見事としかいいようがない



蒼い瞳のブロンドの美形が歌い踊るステージ ただそれだけなのだが



ステージングが圧倒的だ 計算されつくされている



テイラーという稀代のスターを最高に輝かせている



彼女自身の才能とパフォーマンスがそれを可能にしているのだが



そこに流れているのはショービズの王道の伝統だ



畑は違うが ライザ・ミネリのキャバレーを彷彿とさせる



やっぱり米国のショービズは世界一だ






🎤   🎤   🎤   🎤   🎤





ふと考えた 日本は?と



観客の熱狂という点では日本のアイドルも負けてはいない



乃木坂やジャニーズなら武道館もドームもすぐ一杯になる



でもちょっとファン層が偏っている



そういう方向性(マーケティング)で売っているからだ



マーケットを限定している分 部外者には敷居が高くなる



乃木坂のライブを観に行こうとは思わないが…




   💃💃💃💃💃💃💃💃💃💃💃💃💃💃💃




テイラーのショーには行きたいもんね👅

1989年 バブル真っ盛り …



人手不足はMAXで 正に猫の手も借りたい状態



そこで32才の二児の父は猫の手になり 保険会社の社員となった



勤務地に赴任したら 新車が用意してあった



シルバーのランサー(フロアマットはなぜかミラージュのだった)



ご念の入ったことにローンの申込書も用意してあり



ハンコを押すだけになっていた



子ども達はギンギロ(銀色)ブーブと呼んだ



安定した走りのイイ車だった




   .。o○   .。o○   .。o○   .。o○




当時はこんなことはよくあることだった



一兵卒だからランサーですんだが 管理職ならクラウンクラスだった



保険会社にとってディーラーは超が付く上客であり



この程度の本業支援(忖度)は当たり前の時代だった




    .。o○   .。o○   .。o○   .。o○




保険会社がその系列であったこともあり営業車は三菱が多かった



ギャランやディアマンテには長くお世話になった



乗り味にちょっと癖はあったが 私は三菱車好きだった💛



特に好きだったのはスタリオンとエクリプス(って知らんよね)



どっちも“張りぼてのトラ”的なカッコ車であったが



デザインと“とっぽさ”がなんともいえずに好きだった



無駄に左ハンドルだったエクリプスは買う寸前までいった




   🚗   🚘   🚙   🚗   🚘   🚙




来月3度目の車検を迎える



フォレスターに命を預けて もう7年になる



もうそろそろ… が頭をよぎり始めている



で 最近の車事情をチェックしてみた



しかし ろくな車がない



(もちろん金を出しゃあイイ車に出会えるのだろうが…)



おい三菱! 乗用車(セダン)がねえぞ!



SUVと軽しかねえじゃん! どうなってんだよ



懐事情はわからんでもないが



なんか寂しいねえ




😿   😢   😿   😢   😿   😢   😿





結局3度目の車検を通すことにしたのであった