FPのひとりごと

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私は前から気功に興味があった

“気”で離れたところから人を思い通りに動かす
そんな映像にテレビで何回かお目にかかったが
オカルト系や超常現象系とちょっとちがうのかなー
などという素朴な思いもあり なにげに注目していた

そんなとき 仲のよかったヘルパーさんが
気功系の整体?で開業なさったと風の噂で聞いた
んなもんやってもらうしかないやん というノリでナシをつけた

実は事故後の入院で病院側とトラブったことがある
整形外科というカテゴリーでは脊髄損傷は完治しないことがわかって
一縷の望みをかけて 気功の大先生に治療してもらおうと思ったのだ
親友が新宿の中国人の気功の大先生を探してくれた
ホームページを見たら まさに大先生そのものであった
気功には遠隔治療というものがあり 会わなくても治療できるという
まあ正直ちょっと効果に疑問が残らないでもなかったが
藁にもすがる思いで これに賭けてみることにしたのだった
料金が10万円くらいと言われたような気がするが
こうなるともう金の問題ではない
で 主治医に言ったら“くさい顔”をされた
最終的には『お気持ちはわかるが・・』とやんわり断られた
これは考えてみれば当たり前のことで
整形外科系の入院病棟で気功治療が許されるわけがない
もうそんなことすら見えなくなる精神状態だった
気功は ここで一旦 断念の憂き目にあったが
当然のことながら 私の中ではくすぶっていた

そんなところに ふってわいたような話
私が 飛びつかな理由はどこにもない

会ってすぐ意気投合する人
私の場合は ほとんどそうなのであるが
更に“ビビっときてダーっ”と行ってしまう?出会いもある


ボランティアで入浴施設まで送迎してくださるドライバーの方がいる
当地では有名人の方なので あえて名前は伏せさせていただくが
この方との出会いも“ビビ で ダー”のパターンだった
施設までは 車でだいたい30分弱の行程なのであるが
車中で“あちこち飛ぶ”話に熱中し目的地にはあっという間に到着する
あまりに濃密な時間ゆえに もう十年来の友人のようにさえ感じられる
(実際は出会いからまだ1年もたっていない)

この方がノリで『TEAM WATANABE』を旗揚げしてしまった
なんのことはない ただの“飲み会”なのだが
主旨(あるのだろうか?)に賛同される方が あっという間に8名になった
会場は“おやぢ殿の店”で年2回開催 この辺もぱぱぱっと決まった
まさに ノリノリで ビビで ダーで ぱぱぱ の極致だ
おやぢ殿はまだよくわかっていないようだが もうメンバーに入っている
少なくとも 私とドライバーさんとの間では“既成事実”だ

このチームに やはりノリで参加した女性となにげに話をしていたら 
なぜか私の好きな『まる久そばや』の『馬肉支那そば』の話になり
(この方も私同様『かめや』からの“宗旨替え”組だった)
これまたノリで『まる久そばや同好会』がぱぱぱっとできてしまった
もう少し暖かくなったら『馬肉支那そばツアー』を決行するという


ここまでくると もう山本山も真っ青の?ノリの大売出しだ!
でもなんだか春の訪れが待ち遠しくってしかたがない
...もっと詳しく

私はノリのいい男だ
(またの名を『単細胞男』『C調男』という)
人生の約半分くらいをノリで生きてきた気がするが
ときどきブレーキが効かなくなって暴走してしまう
とんでもないところに行ってしまう正に暴走もあるが
常識を超えた“高み”に連れていってくれる暴走もある

相方や仲間が同種の人間だった場合は
そのパワーは2倍ではなく二乗を超える

『えーっ それいいねー!』

『いいだろ なっ!』

『やろやろ!』

『んなもん やるっきゃないじゃん!』

こんなときのノリは もう誰にも止められない
いくとこまでいってフーっと一息つくまで大爆走だ

障害者としてのいろんなハンデを背負い込んだ今は
少し引いて自分や世の中を見られるようになった
というより 飛びつきたいのに飛びつけないのが実状だが
それでも半世紀もの間 我が身に染み付いたこの体質
おいそれと変えられるわけもない

で いまだにビビっときてはダーっとやっちまうわけです

人間 誰にでもイイところとダメなところがある
他人から見て これが半々なら上々てなとこだろう
厄介なのは 自分的にはイイところが他人から見たら逆だということ

“天然”の人って周りからは“癒し”の存在と思われていることが多いのに
“天然の御本人”は天然そのものを否定したがるし そういう評価を嫌う
土台 自分のことを自分できっちり評価することなどできないわけで
それならなおいっそうのこと他人の評価などできっこない

というわけで・・
私のイイとこであり ダメなとこでもあるのが 人を見る目だ

まず初対面 ここでNGだった方は 基本 徹底的にNGだ
この“勘”がはずれたことはまずないが“実績”も極端に少ない
初対面の方は まずほとんど例外なく“そのまま”受け入れる
初対面の方に対する“ストライクゾーン”はかなり広い方だ
ここで“風呂敷を広げられ”ても そのまま受け入れるので
私は過去に歴史に名を残すかもしれないような偉人に何十人も会っている
もちろん本物にも遭遇しているが 偉人の皮を被っていた凡人の方が多い
まあ 正直な話 騙されやすい体質なわけだ 残念ながら

騙されたことを長年気付かなかったことも往々にしてある
白だと思っていたことが気付いてみたら全部黒だったこともある
勝手に騙されていたこともあれば 作為的に騙されていたこともある
作為的に騙す奴は 結局 自分で尻尾を出してしまうが
そのケッコー悲惨な末路を目撃してしまうのは悲しいもんだ
騙すのなら 騙し続けてほしい 永遠に

ストライクゾーンの広さは騙されやすいというデメリットの反面
似たような体質同士の出会いでは 相乗効果を生み出しやすい

次回はそのへんを・・

私は毎朝だいたい5時前後には起きる
正確に言えば日の出とともに起きるので
夏場は4時頃にはパッチリと目を覚ましている
でも冬場は日の出が遅いのでケッコー寝起きは辛い

で なにをやってんのかというと
ベッド上でストレッチなどをやりながら
ラジオ(FM山形→JFN)を聴いている
5時半くらいから始まる『オンザウェイ・ジャーナル』
この番組が とにかく抜群に面白い

神保哲生 高野孟 工藤泰志 上杉隆 町田徹 田原総一郎

こういう人たちがパーソナリティーとなって
持論を展開したり ゲストと対論したりしている
パーソナリティーの面々を見てピンと来ない?
(って 田原さん以外はあまり有名じゃないか?)
もちろん優秀なジャーナリストだが みんな尖っている
尖ってはいても主張していることは まっとうで骨太だ

田原さんはメジャーだがそれ以外はメジャーとはいえない
それはマスコミへの露出度ということだけではなく
ニュースやニュースソースへのアプローチの仕方がマイナーだ
マイナーという言い方は正確ではなく独自でオリジナルだ
メジャーがいわゆる“みんなで渡れば怖くない”式だとすれば
彼らは“みんなで渡るからこそ怖い”という考えだ


検察の意図的リークに乗せられて共通の悪玉をつくりあげ
公共のメディアで事実然として報道(スクープ)する構図
古くは松本サリン事件 最近では郵便不正事件等で
検察&マスコミがタッグを組んで冤罪を作り上げた
東京地検がそのプライドにかけて起訴しようとした小沢氏の一件
あれだけ大々的に報道された水谷建設や西松建設はどこへ行ったの?
検察&マスコミで“巨悪”の臭いをプンプンさせておいて
結局は政治資金収支報告書の虚偽記載のみでの強制起訴だ

やっぱり なにかがおかしいと言わざるをえない

『純喫茶』という固有名詞
いまも存在するのかどうかはあずかり知らぬが
我が青春時代には 確かに存在した

純喫茶・・ って一体なんなんだろう
純があるなら そう不純! えっ不純喫茶!?
まあ ノーパン喫茶なんてのが実際あったから
そういうカテゴリーがあったって不思議ではないが
たぶんアルコールを置いてるとかいないとか
風俗の方になるのかならないのかとかの線引きなんでしょうが
昔の歌舞伎町あたりの純喫茶って 逆に不純な匂いがしたもんだ

当地に喫茶店は現存するのだろうか(→ないよね)
我が青春の思い出の喫茶店(純喫茶)なら断然『青山』だ
駅前十字路近くのパチンコ屋の上にあった
昼間でもほの暗くて “純喫茶な感じ”は全然しなかった
というより ちょっと大人びた(若干隠微な)感じがした
高校生なのに青山に出入りするのはチョイ背伸びであった
ここにタムロっては いろんな悪だくみをしていた

普通はコーヒー好きが喫茶店に出入りするんだろうが
私の若い頃は“暇つぶし”“待ち合わせ”をする“社交場”だった
別に用事がなくても ポロっと一人で喫茶店に入ることもあり
コーヒーを飲んで スポーツ新聞を読んで くつろいだ
いまはコンビニが取って代っている部分を喫茶店が担っていた

五木寛之がエッセーの中で至高の時間として

『下駄履きで喫茶店に行って 週刊誌を読んでいる時間』

のようなことを書いていた記憶があるが わかるなーこれ
昔の脱サラの象徴は ペンションか喫茶店の経営だった
私もUターンを決意する頃 喫茶店かコンビニの経営を考えた
いまとなれば どっちもやらなくてよかったが・・

我が青春において喫茶店にはいろんな思い出がゴッチャリ詰まっている