HOME > 記事一覧

『米坂線の今』伊佐領駅  雪囲い板の隙間から

  • 『米坂線の今』伊佐領駅  雪囲い板の隙間から

 伊佐領駅は1935年(昭和10年)10月30日に開業。1975年(昭和50年)に駅員無配置駅となり、1993年(平成5年)12月に現在の駅舎が完成した。ログハウス風の建物に筆字の駅名板が付けられている。JRもこのような駅舎を建てるんだ、と感心してしまう程、見ごたえのある駅舎である。一度は訪問して欲しい駅である。

 

 ホームに出ると、「日本海美食旅」と書かれた柱状看板があった。新潟県と庄内地方の観光キャンペーンだったはずであるが、何故伊佐領駅にだけ残っているのだろう。さらに駅舎を回って行くと、雪囲い板の隙間から事務室が見えた。事務室の中には事務机があり電話や決裁板のようなものが見えた、さらにヤカンが置かれたストーブもあった。まるである日突然に、その場所から人が消えてしまったかの錯覚に襲われた。

 

 他の無人駅でもこのような事務室は配置されていたのだろうか。常駐ではなくとも、ここで働いていた人の姿が見えるようで妙にうれしく思えた。

 

2025.10.04:orada3:コメント(0):[停車場風景]

『米坂線の今』沼沢駅の2  駅ある風景

  • 『米坂線の今』沼沢駅の2  駅ある風景

 待合室には絵画も飾られていた。中学3年の女生徒の作品であり、「平成12年度子供県展入選作『駅ある風景』」とある。青い山々に囲まれた村の駅舎に、レールが此方と彼方をつなぎながら輝いている。

 

 彼女が描きたいと思った風景を確かめようと、ホームに出てみたが、ホームの高さと同じほどに草が生い茂っていた。輝いていたレールの姿は望むべくもなかった。これが今の「駅ある風景」なのである。

 

 彼女が通っていた中学校は2012年(平成24年)に統合され、廃校となっていた。今、彼女にとってふる里の風景はどこにあるのだろう。改めて駅舎のある風景の重みと温かさを思った。

 ※沼沢駅での思い出の記事はこちらからどうぞ

  → ああふる里、停車場そして友達:おらだの会

2025.10.02:orada3:コメント(0):[停車場風景]

長井線祭りは10月25日開催

  • 長井線祭りは10月25日開催
  • 長井線祭りは10月25日開催

 今年の長井線祭りは10月25日(土)に行われます。荒砥駅を主会場に10時から15時半までの開催時間です。10月25日は、1988年(昭和63年)に山形鉄道㈱が営業を開始した記念すべき日です。鉄路を残すために奔走した先人たちに思いを馳せながら、みんなで祭りを盛り上げていきましょう。

 

 成田駅では協賛事業として恒例の芋煮会等を次の内容で開催予定です。特に鉄道写真家・地域おこし協力隊員の米屋こうじさんの写真展『守る(Shu)』は、くれぐれもお見逃しのないようにおいで下さい。

  11:00 ~ 芋煮会

  11:15 ~ オカリナ演奏会

  12:00 ~ チビッ子集まれ、おもちゃをゲット

  10:00 ~ 15:30 米屋こうじ写真展(旧駅事務室内) 

2025.10.01:orada3:コメント(0):[イベント情報]

『米坂線の今』沼沢駅の1  待合室の活け花

  • 『米坂線の今』沼沢駅の1  待合室の活け花

 羽前沼沢駅は1933年(昭和8年)11月10日に開業した。米坂線は開業以来、豪雪と豪雨に見舞われて来た。米坂線の歴史はまさに被災と復活の歴史であったとも言えるが、沼沢~手ノ子間はその中でも特に災害の多い区間であった。1967年(昭和42年)の冬、5m30㎝の豪雪で「積雪日本一の駅・羽前沼沢駅」の看板が建てられた。また同年8月の羽越豪雨により全線不通となった際は、団体客372名の炊き出しが駅で行われたという。

 

 羽前沼沢駅は1983年(昭和58年)に無人駅となり、同年12月に現在の駅舎が完成している。 待合室に入ると驚くことに花が活けられていた。列車が来ない待合室に花を活けに来る人がいたのだ。誰が、どんな思いで活けているのだろうか。改めて待合室を見ると、他の駅と同様に狭い部屋であるが、この駅には花器を上げる台が設置されていた。設計者の意図であったのか、この小さな気遣いが活け花を飾る人を登場させたように思えた。限られたスペースではあるが、ここで少しだけでも憩って欲しい、との声が聞こえたように思えた。駅こそが鉄道を愛する住民の拠り所であり、鉄道会社と住民をつなぐ結節点なのだと思う。

2025.09.30:orada3:コメント(0):[停車場風景]

『米坂線の今』手ノ子駅の2  待合室の飾り物

  • 『米坂線の今』手ノ子駅の2  待合室の飾り物

 駅の中はとてもきれいだった。待合室に入るとJRからのお知らせなどが掲示されている。けれども長井線の駅には無人駅も含めて配置されている駅ノートなどは置かれていなかった。色紙を赤い糸で丁寧に繋いだ飾り物があった。いつからここに飾られていたのだろう。地元のご婦人が創ってくれたのだろうか。「この駅はJRのモノである」と思わせるような雰囲気の建物の中で、地元の人の姿が見えるような気がして、ホッとするものがあった。

 

 令和6年8月31日に小国町で開催された「米坂線復活絆まつり」に合わせて「『わたしたちの米坂線』思い出エピソード」がまとめられている。その中に次のようなエピソードが載っていた。

///2019 年秋、紅葉シーズンに観光客気取りでビデオカメラを片手に越後下関から羽前椿まで『快速べにばな』に乗車しました。(略)。手ノ子駅で急に運転手が車外に下りたので眺めていると、列車を見に来た子供に何かをプレゼントしていました。微笑ましい光景に、我が子も小さい時に電車を見るために駅に行ったのを思い出しました。(50代)/// → episode_compressed.pdf

 

 ホームに出ると錆びたレ―ルがむき出しになり、夏草が覆い隠そうとしていた。このホームで運転手と子供の笑顔が交わされていた。小さな待合室だけど、地元のおばちゃんが提供してくれた飾り物が一つ。長井線も含めてローカル線の一番大事なものが、この風景にあるような気がする。

2025.09.28:orada3:コメント(0):[停車場風景]