6月1日(日)、小雨模様の中、花いっぱい作業を行いました。そしてホーム北側には、真新しいベンチが置かれていました。おらだの会の初代会長で、しかも駅舎改造の棟梁であった石塚さんの無料芳志です。ほんとに有難いことです。羽前成田駅は「みんなの仕事でできている」のです。
6月1日(日)、小雨模様の中、花いっぱい作業を行いました。そしてホーム北側には、真新しいベンチが置かれていました。おらだの会の初代会長で、しかも駅舎改造の棟梁であった石塚さんの無料芳志です。ほんとに有難いことです。羽前成田駅は「みんなの仕事でできている」のです。
駅茶で行われている「長井線今昔(記録写真&米屋こうじ展)」を観て来ました。その中で、米屋さんの上の作品が妙に印象深いものでした。私にとっては「妙に」と言わざるを得ないような奥深いものを感じるのでした。
撮影地はこれまでも多くの作者が選択した場所であるし、構図も大雑把に言えば特に目立った差異はないように思います。けれども作品の前に立つと、全体に淡いトーンの世界に引き込まれるような錯覚にとらわれました。細部をみると、空の色のグラデーションが、その奥に聳える山並みを包み込んでいます。それぞれの光を放って映る木々の若葉は、油絵のように盛り上って見えるのです。霞のような淡いふる里の風景の中で、フラワー号と共に生命の歯車が確かに時を刻んでいる。そんな作品のように思えました。
在廊されていた米屋さんに、着任して2か月経っての感想と作品に対するお考えを聞くことができました。米屋さんは「実際に住んでこの地域を観ると、季節が確実に進んでいることを実感する。」と語ってくれました。また、「自分の予断やこれまでの作品創りの視点を排除して、目に映るものをそのまま受け入れることを心掛けている。」とも教えてくれました。
米屋さんの言葉からは、着任地あるいは撮影地に敬意(リスペクト)をもって向き合おうとする姿勢を感じました。「芸は人なり」と言います。米屋さんの次の作品を観る機会を楽しみにしたいものです。この作品展は、6月1日(日)までの会期です。ぜひご覧になってみてください。
「長井線の今昔(記録写真×米屋こうじ写真展)」もあと1週間となりました。国鉄時代の最後の駅舎風景をご覧になった方からは、「懐かしい!」の声が上がりました。年配の方々はもちろんですが、若い方からも同じような感想が寄せられます。自分が直接体験したものでなくとも、メディアなどで何となく見聞きしていることから、親しみを感じて、「懐かしい」という感情が湧いてくるのでしょうか。
「懐かしい」場所は、年配の人にとっては自身の楽しかった体験や想い出に誘う空間である。それは同時に「常に新しいものを追い続けなければならない」時代に生きる若者にとっては、レトロなもののゆるさや温かみに、癒しの場を「懐かしい」と感じるのかもしれません。さらに「木造駅舎」の持つ魅力が加わるのかもしれません。かつて写真家・宮嶋康彦さんに「街歩き撮影ツアー」をお願いした時に、宮嶋さんは次のようなことを私たちに語ってくれたものでした。「都会からの参加者は,『普通』に心が癒されるもの。旅人は,長い歴史を感じたい。時間が作り上げた歴史と失われたものを感じたいものである。」と。
→ 木造駅舎の魅力 (「旅と鉄道~木造駅舎紀行」から):おらだの会
60年振りに成田駅を訪れた方が、米屋こうじさんの写真を見てポツンと言いました。「米屋さんの写真には全部、背景に山がありますね。この山々が懐かしくて、嬉しくて、そして有難いものだったんですね。」と。長井の街は昨晩、黒獅子が街を練り歩く伝統の祭りが行われました。米屋さんの作品に感動された方も、その祭りをご覧になっているだろうと思います。「祭りは懐かしくて、嬉しくて、有難いものだなぁ。」と、奥さんに話しているかもしれませんね。(写真展は6月1日までです。どうぞお見逃しなく。)