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(36)駅舎改修~どご新しくしたなや?

  • (36)駅舎改修~どご新しくしたなや?

 駅舎の修繕は平成23年と24年の2か年にわたりましたが、初年度は事務室とホーム側の改修、東側トタンの塗装工事を行いました。6月26日に工事が竣工し、地元の人たちもたくさん見学に来てくれました。「新しくしたという話だげんど、どご新しくしたなや?」と言われるのは褒められたということか。

 

 事務室では宮崎会長のご挨拶。待合室は昔の紳士、淑女でごった返し、また車掌の制服大好きマンもお仕事に来られました。さらに竣工を祝して昭和レトロ車が、「高校3年生」を大音量で流しながら登場してくれたのでした。

 

 

 

【おらだの会】これをきっかけに駅ノートを置くことになりました。若い人に教えてもらってブログ(exeblog)もスタートさせました。こちらをご覧ください。

 → 停車場ノート ① 停車場ノート出発進行! : 山形鉄道 おらだの会 (exblog.jp)

 

2022.05.29:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]

(35)駅舎を再現~ミニチュアが本物に

  • (35)駅舎を再現~ミニチュアが本物に

 平成9年(1997年)4月1日から成田駅は無人駅となり、駅協力会が玉置清吉氏と駅管理委託契約を結ぶことになります。けれども玉置さんの高齢などの理由により平成14年(2002年)には完全無人化となってしまいます。

 

 一方山形鉄道は、平成16年(2004年)のスィングガールズの公開によって、脚光を浴びるようになります。平成18年(2006年)には方言ガイドが始まり、同年10月には日本鉄道賞特別賞を受賞します。さらに平成21年(2009年)には最上川橋梁が近代化産業遺産に認定され、また公募社長に旅行会社出身の野村浩志が就任し営業活動も活発になります。

 

 そんな時、おらだの会の初代会長であった石塚さんが成田駅、長井駅、西大塚駅のミニチュアを制作しました。平成22年(2010年)のことです。「何かやってみよう。」といった気運がおらだの会の中でも生まれていたのかもしれません。このミニチュアが会員の心に火を点けたのでしょうか。ミニチュアが本物になり、実物大の駅舎の再現に取り組むことになったのでした。おらだの会にとってもまた成田駅にとっても大きな転換点となったのでした。

 

 

【おらだの会】わずか12年前の写真ですが、こんな若い時代もあったのかと驚いてしまいます。

2022.05.27:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]

(34)羽前成田駅のロケ地デビュー

  • (34)羽前成田駅のロケ地デビュー

 地域振興の切り札としてフィルムコミッションが期待された時期があった。山形鉄道を一躍有名にしたのはスィングガールズ(2004年公開)だったが、成田駅がロケ地となった最初は平成22年(2010年)公開の「ロスト&ファウンド」だろう。この映画は、ローカル線の落し物預り所で交差する様々な人間群像を描いたもので、奥深いものを感じる物語である。

 

 このドラマの中で重要な役割を果たしているのが事務室に置かれたストーブである。ストーブの暖かな炎に包まれて語られるこのセリフが心に残る。先日、3年ぶりで再会した大学生が「私にとってここは、帰りたくなる場所だ」と語っていたことが思い出された。

 

  ・学生時代の部室に似ているが、一つ違うところがある。ここはとても温かい。

  ・大事なものほどなくしてしまうものだよ。

  ・私はずっとこの話を聞いてもらいたかったのかもしれません。

  ・またいつでも遊びに来てください。

 

 

【おらだの会】このストーブは村川徹監督の「トラベルミステリー」でも親子の回想シーンで登場している。こちらをご覧ください。

 → 火ばさみと手袋と笹巻と:山形鉄道おらだの会 (samidare.jp)

2022.05.23:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]

(33)なぜ成田駅はそのまま残ったのか

 山形鉄道㈱が誕生してからは老朽化した駅舎の改築ラッシュが続いた。平成4年(1992年)には鮎貝駅、平成6年(1994年)には蚕桑駅、平成8年(1996年)には時庭駅、平成11年(1999年)には梨郷駅が改築された。なぜ成田駅はそのまま残ったのか。

 

 その理由の一つが成田駅では、フラワー長井線の開業までに屋根の修復、煙突の修復、窓のサッシ戸化などがいち早く行われたことがあると思われる。また他の駅が市や町によって公民館等との併設で改築されたが、成田駅付近にはすでに成田地区福祉センターが昭和50年(1975年)3月に建設されており、こうした手法もとれなかったのであろう。同じく登録有形文化財に認定された西大塚駅については知る由もないが、沿線に100年を超える木造駅舎が2つも残っていることは貴重な財産であり、奇跡とも言えるだろう。

 

 ◇山形鉄道開業前の各駅の状況はこちらから

   → 山形鉄道駅舎今昔物語 | 山形鉄道株式会社 (flower-liner.jp)

 

 ◇西大塚駅との比較はこちらから

   → 駅舎探検(成田VS西大塚):おらだの会 (samidare.jp)

2022.05.21:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]

(32)平成8年 おらだの会発足

  • (32)平成8年 おらだの会発足

 白兎駅の開業に続いて成田駅前では「もみじ広場」が平成7年に造成されました。広場の北側に自生していたモミジの巨樹をシンボルとして、子供たちの遊び場として整備されたのでした。事業主体の「成田駅前生き生きボランティア」は地元の先輩方で花が好きな人、民謡が得意な人、餅が大好きな人、いつもニコニコと柔和な人と多士済々。この先輩達が成田駅協力会を支え、現在の駅前広場の礎を作ってくれたのでした。

 

 生き生きボランティアの皆さんはもみじ広場の建設をもって引退し、その後の活動を私たち「おらだの会」に託したのでした。おらだの会も発足後25年を過ぎました。長井線の歴史の4分の1を一緒に歩んできたことになります。写真は、おらだの会の最初の会報です。読み返してみて、ここにおらだの会の原点があるのだ、と改めて思います。

 

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 老人クラブから私たちオラダの手で守り育てよう。

 時代とともにすたれゆく駅であるが、四季の花が咲き誇る駅。

 古びた駅であっても地区住民の心が刻まれている駅。私たちの心のよりどころ。

 駅前環境をどう私たちの手で育てていくか。

 子どもたちに夢を、若者に活動の場を、高齢者に生きがいの場を

 

 

【おらだの会】もみじの樹の最後はこちらから

 → 停車場ノート’13-⑩ ありがとうモミジ翁:山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)

 

2022.05.19:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]