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ブログの輪を広げて

  • ブログの輪を広げて

 おらだの会でブログを始めたのは2011年。駅舎の改修事業をきっかけに、駅とおらだの会の情報発信を図ろうとスタートしたのである。この当時、ブログは先進的なツールであり、立ち上げは若い知人にお願いした。しかしその後時代は進み、FBやツイッター、最近ではインスタグラムや動画などが主流のようである。そんな折、最近ブログを始めたAさんとBさん、以前からブログをやっていたCさんとが、駅茶で偶然一緒になった。3人にブログをやる理由について訊いてみた。

 

 若いAさんは、ブログは文章の合間に写真を載せたり、見た目を変えられたり、自分のペースで伝えることができるSNSです。自分が好きな観光や旅系のブログで、写真や動画を交えて地元の魅力を発信したいと考えていると教えてくれました。


 Bさんは、脳トレを兼ねてやっていると冗談を交えながら、今やれるうちに大好きな長井線の日常を写真と文章を交えて表現していきたいと思った、という。そしてインスタよりもブログの方が、自分のためになっている。自分が生きていること、生きていたことの証になってくれるかもと語ってくれました。

 

 CさんはBさんの「生きている証」という言葉にうなずきながら語ってくれました。写真だけでは撮影した瞬間の感情や、その時の思いなどが伝わりにくいし、いずれ自分の記憶からも消えてしまうように思う。だから、できるだけその時にどんなことを考えてシャッターを切ったのか、写真に写っていないところでどんなエピソードがあったのかなどを、記録に残そうと思いながら続けている。ブログは自分にとって日記代わりのもので、自分がこの世を去った後、家族や友人が読み返したとき、その写真や文章から、自分の姿などを想像してもらえたら最高だと思っている。

 

 3人のブログを覗くと、ステキな写真と共に丁寧なコメント(長井高校写真部では「ポエム」と言う)が添えられている。それを読むと長井線の沿線の草花や人々の暮らしへの優しい眼差しが見えてくるように思う。ブログでつながる輪が少しづつ、深く広がっていけばいいと思う。

 


 3人のブログをご覧になってみて下さい。

 → ながいせん日和 (fc2.com)

 → カマ鉄オモシー組合 (goo.ne.jp)

 → くうの旅ログ (travelwriter-kuu.com)

2024.08.24:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

「軌跡、」に思う

  • 「軌跡、」に思う

 Y君の写真展が地元紙で紹介されたこともあって、駅茶にはたくさんのお客様が来られた。ちゃぶ台の上に置かれたパネルにはY君が写真家の仲井精也さん、故広田泉さんと並んでいる写真が飾られてあった。Y君のこれまでの軌跡の中で、こうした有名な写真家との出会いが大きな財産あるいは転機になったことを示すものだろう。

 そう思うと展示されている作品の中に、Y君の姿が見えて来るように思えた。小学校で初めてカメラを手にした時のこと。部長として頑張った高校時代。大学生になって実施した大学連携展示会のこと。そこには一緒に活動した友達がいて、恩師と呼べる先生との出会いがあったのだろう。自分の来し方を表現できるモノ(作品)があることを羨ましいとも思えてくる。

 「Yがお世話になっています。これからもよろしくお願いします。」と挨拶された。Y君のおばあさんだった。Y君の軌跡の中で、これまでず~っと温かく見守っていてくれた存在だっただろう。そしてこれからもずっと、ず~っと心配してくれる人なのであろう。この写真展はY君の多くの人への感謝の気持ちと、未来に向けた決意を示すものであろう。「軌跡」の後に続く句点「、」にY君の決意が伺える。さて、私にとっての「軌跡、」は・・・・・。

2024.08.20:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

変わらぬ場所で立ち止まる

  • 変わらぬ場所で立ち止まる

 令和6年8月から「写真に魅了された一人の人間 成長の記録 軌跡、」展を開催している。上の写真は写真展の準備をするY君を映したもの。Y君は長井高校写真部の卒業生で、来春には大学を卒業して社会人となる。写真展のテーマどおり、出品作品は中学生までの作品、高校時代の作品そして大学時代の作品群となっている。開会初日には今年の3月まで写真部の顧問をしていたT先生も駆けつけてくれた。T先生とは、「やっぱり高校時代の作品が最高だよね!」と意見が一致して笑いあった。

 

 T先生との最後の事業となった令和5年10月の『写真家・米屋こうじ先生と長井高校写真部による合同作品展』のポスターのキャプションには、「変わらぬ場所で、立ち止まる」とあり、パンフレットの巻末に先生の文章が寄せられていました。そこには平成29年から始まったおらだの会との交流の経過や、写真展のポスターとパンフレットを誰もいなくなった夜の職員室で作ったことなどが書かれていました。最後にこれまでの写真部の卒業生に向けて、次のように呼びかけているのでした。

 

 

//みんな今頃どうしているのでしょうか。元気でやってくれているとよいのですが。この場所は、みんなが作品展を開いたあの頃と、少しも変わらず残っていますよ。変わらぬ場所で、立ち止まる。おらだの会の皆さんと、ご来場いただいた多くの皆さまと、みんなが一緒に紡いだ「物語のある風景」展は、今でもこうして後輩たちが受け継いでくれていますよ。こうして作品展が受け継がれていくのは、この場所が駅だからなのかもしれません。目まぐるしく通り過ぎ、急速に変化していく時の流れに翻弄されて、みんなが一度電車をおりたくなったとき、そういうときは、ここで電車をおりてください。私もときどきこの場所に、立ち止まりにやってきます。//

 

 

 交流を持てた若い人たちの人生の一コマに、この駅舎での活動が何がしかの意味を持ってくれて、一人ひとりがその「軌跡」を振り返り、次のステージに向かう時に立ち寄ってくれる場所の一つとなってくれることを願っています。

 

 写真展の案内はこちらから

 → 長井高校写真部OBの初個展:おらだの会 (samidare.jp)

 

 昨年の合同写真展のパンフレットはこちらから

 → 米屋こうじさん&長高写真部展:おらだの会 (samidare.jp)

2024.08.14:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

「本当の日本が残る山形・置賜」(On Trip JAL)

  • 「本当の日本が残る山形・置賜」(On Trip JAL)

 日本航空株式会社(JAL)が主体のweb媒体「On Trip JAL」で、置賜地域が紹介されています。羽前成田駅も5月7日に取材を受けていましたが、この度公開の運びとなったものです。ライターの西村愛さんがつけたタイトルは「あなたの知らないディープ山形 ~次世代に伝えたい『本当の日本』が残る山形・置賜」。

 

 このコピーは元駐日米国大使ライシャワー氏の「山形は“もう一つの日本”である」を意識したようにも思いますが、西村さんは明治時代の英国人女性旅行家イザベラ・バートが語った「置賜は"東洋のアルカディア(桃源郷)"」を紹介しながら、「日本のあるべき姿が今に生きる置賜の魅力に迫ります」と綴られていきます。

 1.イギリス人イザベラ・バードも見た置賜の豊かな暮らしと自然

 2.自然に学び、山と共生する生き方を貫くマタギの世界を体験する

 3.黒い竜神が舞い、人々の繁栄を祈る伝統神事「黒獅子」

 4.地元の人々に大切に守られ伝えられる"ふるさと置賜"の手仕事と工芸

 5.未来に残していきたい置賜の大切な風景を切り取る

 

 さて、羽前成田駅が登場するのは、チャプター5です。「田園の中をのどかに走るローカル線は、旅情をかき立ててくれるもの。」との書き出しで始まります。皆さんも「本当の日本」へのディープな旅に沼ってみてください。

 

 → あなたの知らないディープ山形 ~次世代に伝えたい「本当の日本」が残る山形・置賜 (1/3) - OnTrip JAL

 

 

2024.07.03:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

家族の風景

  • 家族の風景

 駅舎にはいろんな人が訪れる。列車を待つ間、駅茶でよもやま話をするのが何よりの楽しみである。

 

 荒砥駅付近で生まれた夫人は、朝から夕方まで列車の汽笛を聞いて育ったという。母の実家の宮内に長井線に乗って出かけるのがとても楽しみでウキウキするものだった、と語ってくれた。

 また3歳ぐらいの女の子と時々駅で見かける夫人に話を聞くと、女の子は長井線が大好きなのだという。なんと市外に住むひ孫さんを預かっているのだという。

 

 天童駅の近くに住んでいた方は、自宅で介護していた父が亡くなった時のことを語ってくれた。父がいなくなってからは、それまで住んでいた家が「自分の家」であるとは思えない日が長く続いたという。自分にとって列車の音が聞こえる毎日がとても大事なものだと思っていたが、家族のいる風景の重さを改めて知ったという。

 

 コロナ禍で普通の暮らしの有難さや大切さを教えられたものである。けれども命は永遠のものではない。だからこそ、その日常の重みを噛みしめながら生きていきたいものだと思う。駅に遊びに来る子供たちにとって、父母や祖父母、曾祖母の優しい笑顔が、長井線と共に懐かしい思い出として記憶の中に刻まれていくことを願っている。

 

2024.05.25:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]