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あの日あの時へ (その4完:風景の記憶)

  • あの日あの時へ (その4完:風景の記憶)
  • あの日あの時へ (その4完:風景の記憶)

 写真展においでになった方に、「どの作品がお好きですか?」と訊ねることがある。地元の小学校に通う姉妹が駅茶に来た時にも同じ質問をしてみた。その時小学3年生だという妹さんが選んだのが、上の2枚でした。左は「霞城の桜(仙山線快速 山形~北山形)」、右は「夏の午後(奥羽本線蔵王~山形)」という作品です。山や桜といった当たり前にある景色が入った作品でした。

 

 この作品に「いいね」とされた方はいなかったので大変驚きました。彼女は何故、この作品を選んだのだろうか。その他の作品が8歳の子にはなじみがない被写体であったからだろうか。地元の山や景色ではないにしても、親近感を感じるものがあったのかもしれない、などと勝手な推測が浮かんでは消えました。

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 今回の写真展は、鉄道や駅舎への郷愁の原点を考えてみたいと企画したものです。その流れで考えれば、故郷の風景と共に有る鉄道の姿、変わらぬ風景の中で走り続ける列車の姿が、それぞれの大切な記憶として堆積しているのではないだろうか。8歳の少女に大事なことを教えられたような気がします。

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 「あの日、あの時へ」展は、来週で終了します。カメラを手にした18歳の少年がとらえた鉄道情景をあなたの目で鑑賞してください。そしてあなた自身の「あの日、あの時」を探してみて欲しいと思います。開場日程を前回の記事でご確認のうえご来場ください。

2024.10.13:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

あの日あの時へ  (その3:列車の記憶)

  • あの日あの時へ  (その3:列車の記憶)
  • あの日あの時へ  (その3:列車の記憶)

 右の写真には「発車待ち(奥羽本線山形駅)」、左には「休日は汽車でお出かけ(奥羽本線蔵王~山形)」のキャプションが添えられている。

 私にとって鉄道の想い出の一番は、やはり汽車通学の想い出である。隣町から乗車する女子高生の制服が、まぶしく見えたものだった。またボックスシートで友達とワイワイしながら過ごしたものだったが、今はスマホをのぞき込んで過ごすのであろうか。列車というのは公・私の入りこみが見事なバランスを持った空間であると思うが、会話が聞こえなくなった列車はちょっと寂しい気がする。

 「休日は汽車でお出かけ」の女の子たちは、新しい洋服を着て晴れやかに見える。フラワー長井線でも小学生が2~3人で大きな声を出し合いながら、列車に乗り込むのを見ることがある。子供だけの冒険の旅だ。幼い頃、落とさないようにとぎっちりと握りしめていた切符の感触が思い出される。


 そんな想い出にふけっていると、写真展においでになった若い女性から、「電車の窓があくのですか?」と聞かれた。「長井線は今でもあきますよ。ローカル線の大事なアイテムなんですよ。」と答えて思わず笑ってしまった。確かにフラワーライナーの窓は、あの日あの時と変わっていなかったのでした。



【おらだの会】写真展「あの日、あの時へ」の開場予定は、次のとおりですのでお間違えのないようにおいでください。◎印は作家さん在廊予定です。
 ◎10月11日(金)10時 ~16時/  10月12日(土) 13時半~16時
  10月13日(日)13時半~16時/ ◎10月14日(月祝)10時 ~16時
  10月18日(金) 13時半~16時/◎10月19日(土) 10時 ~16時
  ◎10月20日(日) 10時 ~14時

2024.10.11:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

あの日あの時へ  (その2:ホームの記憶)

  • あの日あの時へ  (その2:ホームの記憶)
  • あの日あの時へ  (その2:ホームの記憶)

 左は「発車2分前(奥羽本線山形駅)」、右は「終着駅(仙山線山形駅)」とのキャプションが添えられている。いずれもホームの風景である。

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 左の写真を見ると、東京駅に降り立った時と似た感情が湧いてくる。ホームの先にある都会の華やかな世界。その世界に早く飛び込みたくて、人波の間をワクワクしながら進んでいくのである。昨日までの自分は、そこにはない。

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 右の写真を見ていると、赤湯駅3番ホームに降りた時のことを思い出す。ホームのその先には跨線橋に上る階段が見えるのである。その時、都会の雑踏の中にあって気づかなかった緊張が、融解していくのを感じるのである。ホッと息を吐きだす。

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 ホームには故郷を旅立つ時の思いと、望郷の念に駆られた記憶が映っているように思う。鉄道やホームは、今もなお同じ感情を醸し出させる舞台装置のように思える。「集団就職の時代」に比べて希薄になっているであろうが・・・。

2024.10.09:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

あの日あの時へ  (その1:駅舎の記憶)

  • あの日あの時へ  (その1:駅舎の記憶)
  • あの日あの時へ  (その1:駅舎の記憶)

 「あの日、あの時へ」と題した写真展が、9月28日からスタートしています。今回、展示をお願いしたのは小野孝志さん。小野さんと山形鉄道とのかかわりについては、「駅に集う人々 西大塚駅編」で紹介したところです。今年度最後の展示を小野さんにお願いしたのは、鉄道や駅舎への郷愁の原点を考えてみたいと思ったからです。

 

 小野さんの作品の中から幾つかを紹介していきます。最初は懐かしい駅舎の写真2枚。右は奥羽本線神町駅、左は陸羽西線清川駅です。神町駅は1901年(明治34年)に開業し、1947年(昭和22年)に連合軍鉄道運輸司令部事務所として改築されます。そして2018年(平成30年)2月に、平屋建てに改築されることになりました。清川駅は1914年(大正3年)開業し、2000年(平成12年)に現駅舎が竣工。2022年より列車運行休止により、休止駅となっているそうです。

 

 写真家 宮嶋康彦さんが2012年(平成24年)に実施してくれた撮影ツアーの際に、「都会の人は“普通”に心が癒されるもの。“普通の暮らし”に価値があることを理解して欲しい。」。「旅人は長い歴史を感じたい。時間が作り上げた歴史と失われたものを感じたいものである。」と語ってくれました。

  宮嶋さんの記事はこちらから

  → (43)何を残したいのか  写真撮りツアーで学んだこと:おらだの会 (samidare.jp)

 

 写真の両駅は、歴史の果てに姿を変えてしまった。けれども積み重ねられた歴史と共に、人々の暮らしの記憶がこれからも刻まれ続けていって欲しいと思う。そこに鉄道や駅舎への郷愁の源泉の一つがあるような気がします。

2024.10.05:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

駅に集う人々(西大塚駅の5:完)

  • 駅に集う人々(西大塚駅の5:完)

 長井線全線開通100周年の昨年、西大塚駅では長井線祭り協力事業が行われた。昨年の駅前の様子を見ると、地元の人たちのおもてなしぶりと楽しい様子がとてもよく感じられる。やはり大塚地区交流センターと同駅協力会が協働で行っているというパワーが伺えて羨ましくも思える。(写真提供:川西町役場)

 

 今年も10月20日に長井線祭りが行われる。第1回の長井線祭りは、国鉄長井線廃止反対運動が始まった1981年(昭和56年) 4月22日である。「今日もあの娘は長井線」が運動のテーマソングとなったものである。当時以上に、生活の足としての鉄道の利用頻度は少なくなっているだろう。だからこそ、長井線祭りを地元の人たちが駅に集う日、長井線が縁で繋がった人たちと再会する場にしていきたいものだ。

 

 年に一度だけでもこんな風に駅に集まることができればいいなぁ、と思う。そして「また今年も来たよ」との会話ができるような関係がつくられればもっといい。無人駅であっても、駅ノートだけの交流であってもよいのでないか。鉄道や駅舎を通して地元と沿線住民、そして旅人との間に新しいコミュニティーが生まれていく。そんな姿を夢みたいものだ。

2024.10.03:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]