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あの日あの時へ  (その2:ホームの記憶)

  • あの日あの時へ  (その2:ホームの記憶)
  • あの日あの時へ  (その2:ホームの記憶)

 左は「発車2分前(奥羽本線山形駅)」、右は「終着駅(仙山線山形駅)」とのキャプションが添えられている。いずれもホームの風景である。

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 左の写真を見ると、東京駅に降り立った時と似た感情が湧いてくる。ホームの先にある都会の華やかな世界。その世界に早く飛び込みたくて、人波の間をワクワクしながら進んでいくのである。昨日までの自分は、そこにはない。

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 右の写真を見ていると、赤湯駅3番ホームに降りた時のことを思い出す。ホームのその先には跨線橋に上る階段が見えるのである。その時、都会の雑踏の中にあって気づかなかった緊張が、融解していくのを感じるのである。ホッと息を吐きだす。

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 ホームには故郷を旅立つ時の思いと、望郷の念に駆られた記憶が映っているように思う。鉄道やホームは、今もなお同じ感情を醸し出させる舞台装置のように思える。「集団就職の時代」に比べて希薄になっているであろうが・・・。

2024.10.09:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

あの日あの時へ  (その1:駅舎の記憶)

  • あの日あの時へ  (その1:駅舎の記憶)
  • あの日あの時へ  (その1:駅舎の記憶)

 「あの日、あの時へ」と題した写真展が、9月28日からスタートしています。今回、展示をお願いしたのは小野孝志さん。小野さんと山形鉄道とのかかわりについては、「駅に集う人々 西大塚駅編」で紹介したところです。今年度最後の展示を小野さんにお願いしたのは、鉄道や駅舎への郷愁の原点を考えてみたいと思ったからです。

 

 小野さんの作品の中から幾つかを紹介していきます。最初は懐かしい駅舎の写真2枚。右は奥羽本線神町駅、左は陸羽西線清川駅です。神町駅は1901年(明治34年)に開業し、1947年(昭和22年)に連合軍鉄道運輸司令部事務所として改築されます。そして2018年(平成30年)2月に、平屋建てに改築されることになりました。清川駅は1914年(大正3年)開業し、2000年(平成12年)に現駅舎が竣工。2022年より列車運行休止により、休止駅となっているそうです。

 

 写真家 宮嶋康彦さんが2012年(平成24年)に実施してくれた撮影ツアーの際に、「都会の人は“普通”に心が癒されるもの。“普通の暮らし”に価値があることを理解して欲しい。」。「旅人は長い歴史を感じたい。時間が作り上げた歴史と失われたものを感じたいものである。」と語ってくれました。

  宮嶋さんの記事はこちらから

  → (43)何を残したいのか  写真撮りツアーで学んだこと:おらだの会 (samidare.jp)

 

 写真の両駅は、歴史の果てに姿を変えてしまった。けれども積み重ねられた歴史と共に、人々の暮らしの記憶がこれからも刻まれ続けていって欲しいと思う。そこに鉄道や駅舎への郷愁の源泉の一つがあるような気がします。

2024.10.05:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

駅に集う人々(西大塚駅の5:完)

  • 駅に集う人々(西大塚駅の5:完)

 長井線全線開通100周年の昨年、西大塚駅では長井線祭り協力事業が行われた。昨年の駅前の様子を見ると、地元の人たちのおもてなしぶりと楽しい様子がとてもよく感じられる。やはり大塚地区交流センターと同駅協力会が協働で行っているというパワーが伺えて羨ましくも思える。(写真提供:川西町役場)

 

 今年も10月20日に長井線祭りが行われる。第1回の長井線祭りは、国鉄長井線廃止反対運動が始まった1981年(昭和56年) 4月22日である。「今日もあの娘は長井線」が運動のテーマソングとなったものである。当時以上に、生活の足としての鉄道の利用頻度は少なくなっているだろう。だからこそ、長井線祭りを地元の人たちが駅に集う日、長井線が縁で繋がった人たちと再会する場にしていきたいものだ。

 

 年に一度だけでもこんな風に駅に集まることができればいいなぁ、と思う。そして「また今年も来たよ」との会話ができるような関係がつくられればもっといい。無人駅であっても、駅ノートだけの交流であってもよいのでないか。鉄道や駅舎を通して地元と沿線住民、そして旅人との間に新しいコミュニティーが生まれていく。そんな姿を夢みたいものだ。

2024.10.03:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

駅に集う人々(西大塚駅の4)

  • 駅に集う人々(西大塚駅の4)

 「駅に集う人々」と題して、10年もの長い間にいろんな人が西大塚駅に心を寄せてくれた歴史を振り返ってきた。私たちはこうした応援団に感謝すると共に、この駅を守ってきた地元の人がいたことを忘れてはいけないだろう。

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 NHKアーカイブでのアナウンスやまちづくりNPOセンターのブログに、そのことがさりげなく書かれている西大塚駅の駅ノートに残されたイラスト(写真)には、「今日も元気でやれるのはきれいな花のおかげです」と添えられてあった。またある方から、無人の駅であっても地元の人の顔が見えるような温かい駅があるものです、と言われたことがある。

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 さて昨日はローカル線プロレス2024があり、西大塚駅前はたくさんの人で賑わったことだろう。そこに集った人たちに「きれいな花」は見えたのだろうか。110歳の駅舎に集まった人たちが、ローカル線の温かさと人々の優しさを感じてくれたことを信じたい。

2024.09.30:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

駅に集う人々(西大塚駅の3) 

  • 駅に集う人々(西大塚駅の3) 

 2016年(平成28年)の3駅合同写真展の後、西大塚駅を応援してくれたのは鉄道友の会山形支部の皆さんであった。同会は2018年、2019年にNゲージやプラレールの模型運転を長井線祭り時に実施してくれたのである。大塚地区ではこれに合わせて地元飲食店などによる物品販売等を始めている。

 

 このように西大塚駅での長井線祭り協賛事業は2018年から始まった。その後コロナ禍で一時休止したものの2022年(令和4年)に物販や飲食の他に音楽等も含んだものとして再開されている。外部からの応援団と共に立ち上げた事業が、地元の力で継続されることになったのである。そこには2010年からの礎があったことを忘れてはいけないように思う。

 

 2018年、2019年の様子はこちらから

→ フラワー長井線まつり: 鉄道友の会 山形支部 (railfan-web.sblo.jp)

 

→ フラワー長井線まつり2019: 鉄道友の会 山形支部 (railfan-web.sblo.jp)

2024.09.28:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]