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「サライ」から童謡「ふるさと」へ

  • 「サライ」から童謡「ふるさと」へ

「サライ」には、夢を追って故郷を棄てた若者の故郷を想う心情が謳われている。民俗学者・赤坂憲雄が『東北学/もう一つの東北』の中で、「『ふるさとは遠くにありて思うもの』とうたった時代から、故郷喪失の時代は始まっていたのだ」と書いている。驚くことに、室生犀星がこの詩を読んだのと時を同じくして大正3年(1914年)、「兎追いしかの山」で始まる童謡「ふるさと」が発表されている。

 「ふるさと」では、ふるさとの自然と共に「いかにいます父母、つつがなしや友垣」と思いを馳せながら、「志を果たしていつの日にか帰らん」と謳うのである。そのフレーズはサライでは「父と母の優しさに包まれた日々をなぞりながら生きる」、「帰るその日まで夢は捨てない、きっと帰る愛の故郷」と語られるのである。

大正3年と平成4年という80年もの時間を越えて、求め続けている故郷とは何だろう。赤坂教授は先の著書の中で、故郷を離れた者と故郷に留まった者との間の共同作業として、故郷を再検証し、あらたに創造してゆくべき時代がやって来ているといい、やがてそれぞれの「帰郷の時代」が始まるという。その時代には、どんな歌が生まれているのだろうか。


【おらだの会】写真は2年前の成田駅です。過去には、こんな記事もアップしていました。

 

  → 成田駅前変な民俗学 1-①茂吉と翁草:山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)

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  → ちゃぶ台写真展の民俗学的考察?!:山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)

2024.02.01:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

「サライ」の空に

  • 「サライ」の空に

 高校時代の友人から年賀状が届いた。「年齢のせいか、故郷が恋しくなってきました。」と書かれてあった。クラブのスーパースターであった彼も、故郷のことを懐かしく思いだすようになったのか、と感慨深いものがありました。

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 「故郷」というと、昨年10月に亡くなった谷村新司の「サライ(1992年(平成4年)発表)」が浮かんで来る。

 夢を捨てられずに故郷を出る若者が、汽車の窓から見える故郷の空の青さに気づき、切ない思いに駆られる。夢を追いかけて必死に生きる街で、見上げた空に白い雲が流れていく。その先には、父母の愛に包まれて暮らした故郷があったのだ、という内容の歌詞である。

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 友人が都会で想う「故郷の空」は、桜吹雪の空であろうか。それとも、今日のような冬晴れの空であろうか。今年は同窓会の予定があるとのこと。彼とも三十年振りに会えることを楽しみにしたいものだ。

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2024.01.29:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

駅に残る思い その6(木製ランタン)

  • 駅に残る思い その6(木製ランタン)

 駅舎には「羽前成田駅の木製ランタン」と題したパネルと、10個程度の木製ランタンがある。パネルには「このランタンは、羽前成田駅の改修工事で出た戸の廃材で作られたものです。羽前成田駅の木造の良さや暖かさを知ってもらいたいと思い制作しました。」と記されている。

 

 これを制作したのは、市内の建築関係の短大で学んでいたH君。13年前に、おらだの会では木造駅舎の復元(修繕)工事に取り掛かっていましたが、H君はこの工事に興味を持ち、いつしか私たちの事業にも参加するようになります。

 

 H君は卒業後、仙台に就職したと聞きました。H君の他にも若い人が成田駅に来てくれました。今はそれぞれの道で頑張っていることだろうと思います。H君が残してくれた木製ランタンは、そんな若い人たちとの楽しい時間があったことを思い出させてくれます。ランタンに灯りをともしながら、再会の日を楽しみに待っていようと思います。

 

H君と駅茶のこと、若い人との想い出はこちらから

 → 「駅茶」の思い:山形鉄道おらだの会 (samidare.jp)

 

→ 停車場憧憬 若き旅人達へ:山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)

2024.01.23:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

駅に残る思い その5(おらだの会のお仕事風景)

  • 駅に残る思い その5(おらだの会のお仕事風景)

 この写真は2011年(平成23年)6月18日に撮影されたものである。撮影してくれたのは同じ町内に住む小笠原さん。小笠原さんの愛猫チャーが「楽しみだニャー」と言っているのは、6月26日に羽前成田駅の第1期改修事業のお披露目会のことである。

 

 ホームでは職人がコンクリートの仕上げをやっている。会長などがサッシ戸を磨いている。待合室の入口には「6月26日成田駅へ集合」のチラシ。駅舎修繕のきっかけとなった「なつかしいふるさとの駅舎を再現しました」の看板も見える。

 

 竣工式の写真は残っているものの、その準備段階の写真はなかなか残せないものである。それにしても「おらだの会のお仕事風景」というタイトルはとても素敵だ。イベントの前の地道な作業をやってくれていた先輩方がいたこと。そしてそれを温かく見守ってくれた町内の人がいたことを嬉しく思う。それは、これからもずっと大切にしていきたいことだ

2024.01.14:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

駅に残る思い その4(ホームのかかし)

  • 駅に残る思い その4(ホームのかかし)

 ラミネート処理されたこの写真には「第1回フラワー長井線かかしまつり 最優秀賞『たきび』 成田貧困会様」との説明がある。山形鉄道に問い合わせたところ、かかし祭りコンクールが開催されたのは2007年(平成19年)とのことだった。

 

 コンクールには成田貧困会(代表 今野武)の他に山形工科短大、沿線の高等学校3校、保育園や小学校などが参加し、投票の結果最優秀に輝いたのである。成田貧困会は、上山市で開催される全国かかし祭りでも数年続けて大賞を受賞している。いわば特殊な才能を持った集団だったである。

 

 それはさておき展示された駅は成田、荒砥、長井、宮内駅の他に南長井駅、鮎貝、白兎、時庭、梨郷駅など9駅である。これは、最近の長井線祭りのイベント会場数の約2倍である。またコンクールに参加した団体名をみると、主催者がかなり熱心に参加を呼び掛けたことが伺える。かかし祭りは、由利高原鉄道やいすみ鉄道などでは今も行っているようであるが、山形鉄道ではこの1回限りで終わってしまった。継続するのが大変だったのだろう。

 

 成田駅で鮎貝りんごのパネルをホーム側に設置していると、乗客の多くが驚いたようにスマホをかざす姿が見られる。無人駅であっても、いや無人駅だからこそ、乗客を歓迎する仕掛けが可能なのではないか。この写真を単に過去の記録として埋もれさせて良いものだろうか。

 

2024.01.12:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]